北陸本線 3453M/3259M 敦賀~近江塩津~米原

鉄道唱歌で行く北陸本線 6 / 青春18令和4年春紀行 初日

 

 敦賀駅から鉄道唱歌の旅、続けていきます。

敦賀10時23分発姫路行き新快速。

途中の近江塩津から湖西線に入り、近江舞子まで各駅停車で進み、その先は新快速となって姫路までロングランしていきます。

 

 

 ホームベンチには何やら白衣を着た恐竜さん

 

 転換クロスシートの車内

列車は定刻に発車します。

 

 

 建設中の新幹線の車両基地でしょうか

 

北陸本線のこの区間は複線ですが、敦賀を出ると上下線が大きく離れて進んでいきます。

 

 

 

複線化されたのは昭和38年

 

この区間は本州中央の分水嶺から日本海側の敦賀の平野に向かって25パーミルの急勾配となっていました。

従来の線路は敦賀方面の下り線となり、25パーミルの勾配をまっすぐ下ります。

一方、新設された登り勾配となる米原方面の上り線は、ループ線で勾配緩和しながら登っていく構造となっています。

 

眼下に下り線を見ながら立体交差していきます。

 

敦賀の街並みを見ながら

 

山中に分け入っていきます。

 

 

 

 

 

 

 新疋田駅に着きます。

 

鐵道唱歌 北陸地方 六八

 

疋田柳瀬中の郷

すぎゆく窓に仰ぎ見る

山は近江の賤が嶽

七本鎗の名も高し

 

鉄道唱歌の時代(明治33年に所版が出版)はこの辺りでは現在と全く違ったルートをたどっていました。

歌詞中の「疋田」「柳ヶ瀬」「中ノ郷」はいずれも旧線に存在していた駅です。

 

現在の新疋田駅の少し手前で現行のルートを離れ、現在の福井・滋賀県同140号線(敦賀柳ヶ瀬線)・国道365号線に沿って木ノ本駅の少し手前で現在の北陸本線に合流していました。

 

しかし明治17年に開通したこの線路は急勾配とトンネルが連続していました。特に県境に掘られた、当時としては桁外れの長大トンネルであった1352mの柳ヶ瀬トンネルでは、煤煙に悩まされました。

 

明治初期に掘られた柳ヶ瀬トンネルは、当時の小さな機関車に合わせて口径も小さく、昭和時代の大型機関車は想定していません。1kmを越えるトンネルでの煤煙問題は深刻で、昭和3年には貨物列車がトンネル内で空転して停止し、乗務員3名が窒息死する事故も起きています。

 

交流電化された全長5170mの深坂トンネルが掘られて現在のルートに変わったのは昭和32年のことでした。

従来の旧線は柳ヶ瀬線となり気動車によるローカル輸送のみ続けられていましたが、昭和39年に廃止されています。

 

 

 

 近江塩津駅、10時39分着。

電車は湖西線に入り進んで行きますが、ここでおります

 

湖西線の開業は昭和49年。

鉄道唱歌の時代には湖西線はありません。この先、北陸本線米原まで行く電車に乗り換えます。

 

 

11時7分発、米原経由の姫路行き新快速。

北陸本線を通って米原まで各駅に停車し、米原から新快速となって姫路まで進んでいきます。

 

 

 

 余呉駅

 

 

 

 木ノ本駅

 

鐵道唱歌 六九

 

豐太閤の名をとめし

轡の森は木の本の

地藏と共に人ぞ知る

汽車の進みよ待てしばし

 

 

 

長浜駅

 

鉄道唱歌 70

 

縮緬産地の長濱に

いでゝ見わたす琵琶の海

大津にかよふ小蒸気は

煙ふきたて人を待つ

 

 

長浜駅の旧駅舎が見えます。

明治36年まで使われていた駅舎で、現存する最古の駅舎だそうです。昭和33年に鉄道記念物に指定され、現在は鉄道博物館「長浜スクエア」となっています。

 

北陸本線の長浜~柳ヶ瀬間の開通は明治15年。長浜からは太胡汽船が大津まで連絡し、大津で京阪神までの鉄道線と接続していました。翌明治16年には新橋からの東海道本線も長浜までつながり、明治22年に現行のルートが開通するまで太湖汽船は鉄道連絡船として機能していました。

 

鉄道開業後は琵琶湖の水運も衰退していきましたが、昭和40年代ころまでは地域住民の足として残っていたそうです。現在は観光用の遊覧航路のみ運航されています。

 

 

 田村駅

 

今は敦賀まで直流電化されていますが、かつてはここが交直流の切り替え駅でした。

広い構内は機関車の交換を行なっていた頃の名残です。

 

田村から敦賀までは、近江塩津経由の新線が開通した昭和32年に交流電化されました。

かつては大坂から直流電気機関車に牽引されてきた列車は、米原蒸気機関車に付け替えて田村まで来て、ここで交流電気機関車に付け替えて北陸方面に向かって行ったそうです。

後に蒸気機関車ディーゼル機関車に代わりましたが、この運用は交直両用機関車が導入される昭和58年まで続きました。

 

平成3年に米原から長浜まで、平成18年には敦賀まで直流電化に変更され、新快速電車が直通するようになりました。

 

 

田村を出ると、次は米原です。

 

 米原着、11時42分。北陸本線東海道本線と合流します。

列車はここから新快速となって姫路まで行きますが、ここで降ります。

 

 

米原駅

 

鐵道唱歌 北陸地方 七一

 

驛夫の聲におどろけば

眠はさめて米原

つきたる汽車の速かさ

みかへる伊吹雲ふかし

 

 

 米原東海道本線の大垣行き鈍行列車に乗り換えます。

 

鐵道唱歌 北陸地方 七二

 

おもへば汽車のできてより

狭くなりたる國の内

いでし上野の道かへて

いざやかへらん新橋へ

 

 ー 鉄道唱歌 北陸地方 完 ー

 

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