鉄道唱歌で行く山陽本線 10 / 青春18令和元年夏紀行 2日目
岩国18時17分発下関行き鈍行列車。115系3000番台車4両編成。昭和57年から製造された国鉄近郊型電車115系のグループで、外見は国鉄顔ですが
車内はそれまでの三扉セミクロスシート(ボックスシート)から、2扉セミ転換クロスシートに一新されました。
錦川を渡ります。
岩國川の水上に
かゝれる橋は算盤の
玉をならべし如くにて
錦帶橋と名づけたり
やがて海岸沿いに出ます。ここからしばらくの間、瀬戸内海に沿って走ります
だんだん日も傾いてきました。
大畠駅。
大島への乗り換え案内板がありますが、周防大島へはJR線は通じていません。
昔は大島への航路を国鉄が運営しており、大島島内は国鉄バスが連絡してました。昭和51年の大島大橋の架橋後は大畠駅から国鉄バスが連絡するようになり、JR西日本に引き継がれました。乗り換え案内板はそのころの名残でしょう。
今はJRは撤退し、大島へのバスは防長交通が運行しています。
柳井港。駅前からは四国松山までのフェリーが発着しています。
風に絲よる柳井津の
港にひゞく產物は
甘露醬油に柳井縞
からき浮世の鹽の味
ここまでくると車内もだいぶ空いてきました。
しかし、さすがに朝から列車に乗りづめで身体がきつくなってきた。
徳山駅。
鐵道唱歌の明治33年当時、鉄道は下関までは通じていませんでした。九州へ渡る旅客は 徳山港まで行き、そこから連絡船に乗っていました。
だんだん日は暮れていきます。
防府駅。
明治31年開業。開業時は「三田尻駅」と呼んでおり、山陽鉄道(現在の山陽本線)の終点でした。
出船入船たえまなき
商業繁華の三田尻は
山陽線路のおはりにて
馬關に延ばす汽車の道
少しくあとに立ちかへり
徳山港を船出して
二十里ゆけば豐前なる
門司の港につきにけり
山陽鉄道が馬関(現在の下関)まで延伸し神戸~下関間が全通したのは、鉄道唱歌発表の翌年、明治34年のことです。
そして下関着21時29分。
神戸を10時39分発の電車に乗ってから約11時間でした。
ちなみに下関まで開業した明治34年、現在の特急に相当する「最急行」で神戸から下関まで12時間半だったそうです。
ここから関門トンネルを通って九州に帰ります。まだまだ先は長いな・・・
向の岸は馬關にて
海上わづか二十町
瀬戶内海の咽首を
しめてあつむる船の數
朝の帆影夕烟
西北さしてゆく船は
鳥も飛ばぬと音にきく
玄界洋やわたるらん
滿ち引く汐も早鞆の
瀬戶と呼ばるゝ此海は
源平兩死の古戰塲
壇の浦とはこれぞかし
世界にその名いと高き
馬關條約結びたる
春帆僂の跡とひて
昔しのぶもおもしろや
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