鉄道唱歌で行く東海道本線 24 / 青春18令和2年春紀行 3日目
13時50分発姫路行き新快速。北陸本線の近江塩津を13時7分に発車し、13時42分に入線して来ました。
鉄道唱歌で行く東海道本線、最後の列車になります。これで一気に神戸まで突っ走ります。
転換クロスシートの車内
電車は出発
発車してすぐ、米原駅で購入したお弁当を開きます。
今日の早朝、清水を出てから何も食ってなく、腹減っています。
風呂敷のような不思議な包み紙で包まれたお弁当、「湖北のおはなし」というそうです。
その包み紙を開けると
こんなのが出てきました。
なかなか凝ってるな・・
開けたらこんな感じ、おこわにいろんなおかずの詰め合わせ。
うん、うまい!揚げ物はなく、煮物中心のやさしい味。
これは、ビールが進むわ!
彦根に立てる井伊の城
草津にひさぐ姥が餅
かはる名所も名物も
旅の徒然のうさはらし
いよ╱╲近く馴れくるは
近江の海の波のいろ
その八景も居ながらに
見てゆく旅の樂しさよ
しかし「居ながらに見て行く旅」と言いながら、列車から見ることはまずできません。
瀬田の長橋右に見て
ゆけば石山観世音
紫式部が筆のあと
のこすはこゝよ月の夜に
まず近江八景の一つ、「瀬田夕照」(瀬田の唐橋)が出てきました。
ただ、歌詞には「右に見て」とありますがこれは誤りで、東京方面からくると瀬田の唐橋は左側になります。
後の改版でこの部分は「横に見て」と訂正されています。
瀬田川を渡ります。
こちらは左車窓、瀬田の唐橋はこの奥のほうにあり、どっちにしても車窓からは見えません。
こっちは右車窓、
瀬田の唐橋は見えませんが、こちら側は遠くに琵琶湖にかかる近江大橋がかすんで見えます。
粟津の松にことゝへば
答へがほなる風の聲
朝日將軍義仲の
滅びし深田は何かたぞ
比良の高嶺は雪ならで
花なす雲にかくれたり
矢走にいそぐ舟の帆も
みえてにぎはふ波の上
堅田におつる雁がねの
たえまに響く三井の鐘
夕ぐれさむき唐崎の
松には雨のかゝるらん
近江八景「粟津晴嵐」「比良暮雪」「矢橋帰帆」「堅田落雁」「御井晩鐘」「唐崎夜雨」が次々と歌われています。
むかしながらの山ざくら
にほふところや志賀の里
都のあとは知らねども
逢坂山はそのまゝに
石山駅の先、膳所駅から京都駅までは、鉄道唱歌が出版された明治33年当時、現行ルートとは違ってました。
明治時代はトンネル掘削技術の限界もあり、東山を避けて現行ルートより南側を通っておりました。全長664mの逢坂山トンネルを抜けて京都市街の南側に出て、現在の奈良線(稲荷~京都間)を通って京都に向かってました。
しかしこのルートは急勾配があり、非力な蒸気機関車では輸送量に対応できなくなってきました。
このため全長1865mの東山トンネル、2325mの新逢坂山トンネルが掘削され、大正10年に現行ルートに改められました。
山科駅。
大石良雄が山科の
その隠家はあともなし
赤き鳥居の神さびて
立つは伏見の稲荷山
東寺の塔を左にて
とまれば七條ステーション
京都々々と呼びたつる
驛夫のこゑも勇ましや
歌の中にある山科駅は、現在の山科駅とは違った場所にありました。
当時は現在の奈良線を通って京都に向かっていたため、伏見稲荷を過ぎて左側に東寺があることになっています。
京都駅。
こゝは桓武のみかどより
千有餘年の都の地
今も雲井の空たかく
あふぐ清涼紫宸殿
東に立てる東山
西に聳ゆる嵐山
かれとこれとの麓ゆく
祇園清水智恩院
吉田黒谷眞如堂
ながれも清き水上に
君がよまもる加茂の宮
夏は納凉の四條橋
冬は雪見の銀閣寺
櫻は春の嵯峨御室
紅葉は秋の高雄山
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