和歌山線 高田~下井坂

鐵道唱歌で行く桜井線・和歌山線 2

 

奈良から桜井線を通って高田まで来ました

ここから和歌山線の列車に乗り換えて進んでいきます

 

 

高田7時21分発和歌山行き鈍行列車

 

和歌山線関西本線の王子から分岐し和歌山までの路線です

王子から高田を通って桜井線の桜井まで大阪鉄道が建設し、高田から分岐する形で五条まで南和鉄道が建設し、五条から和歌山(現 紀和)までは紀和鉄道が建設しました。

 

大阪鉄道・南和鉄道・紀和鉄道いずれも関西鉄道に買収された後に国有化されています。

 

JR西日本227系1000番代

3扉ロングシートの車内

 

定刻に列車は発車し、大和盆地を走っていきます

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 四十

 

右の窓よりながめやる

葛城山の南には

楠氏の城に名を擧げし

金剛山もつゞきた

 

奈良県大阪府の間にある葛城山。古代に勢力をふるった葛城氏の本拠地で、山麓一帯には多くの古社が存在しています。

峰続きの金剛山には、楠木正成千早城を築きました。

 

大和新庄駅

 

明治29年に南和鉄道の路線が開通した時に新庄駅として開業、大正4年大和新庄駅に改称されました。

 

御所駅

 

 

掖上駅

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 四一

 

新庄御所を打ちすぎて

掖上ゆけば神武帝

國を蜻蛉と宣ひし

嗛間の丘ぞ仰がるゝ

 

掖上駅の北に神武天皇社があり、そこが初代神武天皇の即位した場所だという言い伝えがあるそうです

それによると「畝傍山の近くに橿原という地名は無く、橿原宮は柏原村にあった。この地が宮地に指定されると住民が他に移住しなければならなくなるので明治初めに証拠書類をすべて焼却した」そうな・・・

 

神武天皇社の境外社「嗛間神社」(ほほまじんじゃ)では、神武天皇が日向に居た頃にめとった妻の吾平津姫(アイラツヒメ)を祀っています

 

 

やがて近鉄線が合流し

 

吉野口駅に到着

 

列車交換のためしばらく停車します

 

 

五条駅

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 四二

 

終れば起る鐵道

南和と紀和の繫口

五條すぐれば隅田より

紀伊の境に入りにけり

 

鉄道唱歌当時の和歌山線は高田~五条までが南和鉄道、五条から先は紀和鉄道が運行していました

「南和」とは大和の南、「紀和」とは紀伊と大和をを結ぶ、という意味でしょう

 

大和二見駅

 

先ほど「五条から先は紀和鉄道が運行」と書きましたが、正確には五条から先まで南和鉄道の貨物線が伸びており、その途中から分岐する形で紀和鉄道が伸びていきました。五条駅から分岐点までは紀和鉄道が南和鉄道貨物線に乗り入れる形となっていました。

明治35年に分岐点に二見駅が開設され、明治42年大和二見駅に改称されました。

 

列車は大和から紀伊に入り、

 

隅田駅に到着します

 

隅田駅

既に大和から紀伊に入りました

 

今度は南海電鉄と合流し、橋本駅に到着します

 

五条から紀和鉄道が線路を伸ばして橋本まで開通したのは明治31年。一方、和歌山方面からも線路を伸ばしてきて、明治33年8月に粉河まで開通しました

鉄道唱歌はこの時点で歌詞が作られています

すなわち当時は橋本~粉河間が未開業で、五条側は橋本駅が終点でした。

 

橋本~粉河間が開業したのは明治33年11月のことです

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 四三

 

瞬くひまに橋本と

呌ぶ驛夫に道とへば

紀の川わたり九度山

すぎて三里ぞ高野まで

 

当時、南海電鉄高野線は未開業。高野山に行くには九度山村(現 九度山町)をすぎて3里の道を歩いていったのでしょう。

ちなみにグーグルマップで調べてみると、橋本駅から高野山までの経路は徒歩で5時間1分、18kmと表示されました

 

今は南海高野線鋼索線を乗り継いで高野山まで行くことができます

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 四四 四五

 

弘法大師この山を

ひらきしよりは千餘年

蜩ひびく骨堂の

あたりは夏も風さむし

 

木隱をぐらき不動坂

夕露しげき女人堂

みれば心もおのづから

塵の浮世を離れけり

 

大坂の方から来た南海高野線が分かれていきます

 

 

 

 

紀ノ川を見ながら列車は走っていきます

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 四六 四七 四八

 

ふたゝび渡る紀の川

水上とほく雲ならで

立てるは花の吉野山

見て來んものを春ならば

 

あはれ暫は南朝

假の皇居となりたりし

吉水院の月のかげ

曇るか今も夜な╱╲は

 

夕べ悲しき梟の

聲より猶も身にしむは

如意輪堂の寶藏に

のこる鏃の文字の跡

 

鉄道唱歌は紀ノ川の上流にある吉野山に思いをはせています

「見て来んものを春ならば」と言ってますので作詞者の大和田建樹さんは実際には行ってないのでしょう。

先述の通り和歌山から粉河まで開通したのが明治33年8月、この時点で歌詞が作られてます。未開業だった粉河~橋本間が開通したのが同年11月ですので、大和田さんは夏から秋にかけて訪れたのですね。

 

列車は進んでいきます

 

 

そして列車は粉河駅に到着

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 四九

 

親のめぐみの粉河より

又乘る滊車は紀和の線

船戶田井の瀬うちすぎて

和歌山みえし嬉しさよ

 

「親のめぐみの粉河」で、駅名と「子かわいい」をかけているんですね

 

それにしても橋本駅から高野山まで徒歩で往復し、さらに工事中の線路を横目に橋本から粉河駅まで約21kmの道のりを歩いてきたんですね・・・

そりゃ和歌山が見えたときのうれしさもひとしおだったでしょう

 

 

しかしぼくは和歌山まではいかずに、

 

下井阪9時13分着

ここでいったん降ります

 

和歌山の方へ走っていく電車を見送ります

 

ホーム一本だけの棒線駅です

無人駅ですが、ワンマンの運転士さんは乗車券の回収は行わず、天王寺駅から1340円の乗車券が手元に残ってしまいました

 

ちなみにJRの運賃計算は実際の乗った経路で計算するのが原則です。ぼくは天王寺から関西本線・奈良・桜井線・和歌山線経由で下井阪まで来ましたので、運賃計算キロは136.3kmで運賃は2310円となります

つまり、ぼくは下井阪駅が無人駅であることをいいことに不正乗車をした・・

 

 

・・・わけではありません!

JRでは路線が入り組んでいる都市部では、運賃計算を簡略化するために、実際の乗車経路にかかわらず最短経路で運賃が算出されます

ぼくが乗ってきた区間もこの制度が適用され、最短経路である阪和線経由で運賃計算がされますので何の問題もありません

 

 

さて、下井阪駅から紀伊国分寺跡へ歩いて向かいます

 

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