鉄道唱歌で行く山陽本線 9 / 青春18令和元年夏紀行 2日目
岩国行きの鈍行列車、広島地区に投入されているJR西日本の最新近郊型電車227系3両編成。
糸崎を15時39分に発車します。
転換クロスシートの車内。
快適なのですが、JR西日本の転換クロスシートは窓側にアームレストが無いのが残念。
呉線が分かれていきます。
八本松。
八本松から隣の瀬野までの間は、「セノハチ越え」と言われる鉄道の難所です。
上り線(下関から神戸に向かう方向)において登り急勾配が続き、蒸気機関車の頃は勿論、電化後も旅客・貨物の全列車が後押しの機関車を連結してました。電車さえも初期の頃は機関車に押してもらって勾配を登ってました。
後に機関車や電車の性能が向上し、旅客列車は後押しの機関車は必要無くなりました。
しかし重量のある貨物列車は今も坂を登りきれず、後押し機関車を連結しています。
ぼくが昔、東京から下関行きにのブルートレイン「あさかぜ」に乗り、早朝この区間に差しかかった時、オレンジ色の後押し機関車を連結した貨物列車と何度もすれ違ったのを覚えています。
そして広島駅に近づきます。
通りには赤いシャツを着た集団が歩いていました。
満員となった車内にも赤いシャツがちらほら。
カープの試合が今日あるのでしょうか。
広島に着きました。乗客のほとんどが入れ変わります。
絲崎三原海田市
すぎて今つく廣島は
城のかたちもそのままに
今は師團をおかれたり
日清戰爭はじまりて
かたじけなくも大君の
御旗を進めたまひたる
大本營のありし土地
北には鐃津の公園地
西には宇品の新港
内海波も靜なり
呉軍港は近くして
日清戦争は明治27年~28年のこと、鉄道唱歌が発表されるわずか5~6年前です。
当時、大本営が東京から広島に移転し広島城に置かれました。また明治天皇も広島に移られました。
明治27年の第7回帝国議会も広島で開催され、これは日本の憲政史上唯一、東京以外で開催された国会です。
広島電鉄線に沿って走って行きます。
宮島口
己斐の松原五日市
いつしか過ぎて嚴島
鳥居を前に眺めやる
宮嶋驛につきにけり
汽笛ならして客を待つ
汽船に乗れば十五分
早くもこゝぞ市杵島
姫のまします宮どころ
対岸に宮島が見えています。
海に出でたる廻廊の
板を浮べてさす汐に
うつる燈篭の火の影は
星か螢か漁火か
毛利元就この島に
城をかまへて君の敵
陶晴賢を誅せしは
のこす武臣の鏡なり
そして終点、岩国着、17時52分。
さらに乗り換えて西に進みます。
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