鉄道唱歌で行く東海道本線 25 / 青春18令和2年春紀行 3日目
京都駅
琵琶湖を引きて通したる
疎水の工事は南禪寺
岩切り抜けて舟をやる
知識の進歩も見られたり
神社佛閣山水の
外に京都の物産は
西陣織の綾錦
友禪染の花もみぢ
扇おしろい京都紅
また賀茂川の鷺しらず
土産を提げていざ立たん
あとに名殘は殘れども
新快速はわずかの停車時間で発車しましたが、鉄道唱歌はずいぶん長いこと京都にとどまっていました。
鉄道唱歌 五四
山崎おりて淀川を
わたる向ふは男山
行幸ありし先帝の
かしこきあとぞしのばるる
淀川を渡って大阪市内に入ります。
淀の川舟さをさして
くだりし旅はむかしにて
またたゝくひまに今はゆく
煙たえせぬ陸の道
江戸時代の滑稽本「東海道中膝栗毛」に、弥次さん北さんが京から大坂まで淀川の川舟に乗る話が出てきます。夜に京の伏見を出て翌朝に大坂に着いたという、今でいう夜行バスのような存在でしょうか。
京の伏見から下り舟に乗った弥次さん北さんでしたが、途中の停泊地で乗る船を間違えてしまい、上り舟に乗って元の伏見に戻ってしまった・・というオチでした。
明治10年に官設鉄道(国鉄)が開業、京都~大阪間は1時間40分で結ばれるようになりました。
♪ 煙たえせぬ陸の道 くだりし旅はむかしにて 瞬くひまに今はゆく 新快速で30分~
大阪駅に着きます。
おくり迎ふる程もなく
茨木吹田うちすぎて
はや大阪につきにけり
梅田は我をむかへたり
三府の一に位して
商業繁華の大阪市
豐太閤のきづきたる
城に師團はおかれたり
こゝぞ昔の難波の津
こゝぞ高津の宮のあと
安治川口に入る舟の
煙は日夜たえまなし
鳥も翔らぬ大空に
かすむ五重の塔の影
佛法最初の寺と聞く
四天王寺はあれかとよ
鉄道唱歌は、名古屋では岐阜とひとくくりであっさり通過していったのに、京都・大阪ではずいぶん長時間停車してるなあ・・
再び淀川を渡ります。
そして神崎川を渡ります。
大阪いでゝ右左
菜種ならざる畑もなし
神崎川の流れのみ
淺黄にゆくぞ美しき
ちょうど3月終わりの今の季節(乗車時)、菜の花がきれいに咲いてる時期でしょうが、いまや高層建築ばかりで菜の花畑などどこにもありません。
尼崎駅
神崎よりはのりかへて
ゆあみにのぼる有馬山
池田伊丹と名にきゝし
酒の産地もとほるなり
鉄道唱歌の神崎駅は現在の尼崎駅です。阪鶴鉄道(現在のJR福知山線)が有馬口駅(現在の生瀬駅)まで結んでおり、温泉客でにぎわっていました。
神戸の中心、三ノ宮
そして間もなく神戸です。
神戸15時40分着。ここで降ります。
新橋から2日間にわたって続けてきた、鉄道唱歌で行く東海道本線の旅、終点です。
山陽本線を姫路まで走っていく新快速電車を見送ります。
神戸駅は東京からの東海道本線の終点駅、門司までの山陽本線の起点駅です。
鉄道唱歌 六二 六三 六四
神戸は五港の一つにて
あつめる汽船のかず╱╲は
海の西より東より
瀬戸内がよひも交じりたり
磯には眺め晴れわたる
和田のみさきを控えつゝ
山には絶えず布引の
瀧見に人ものぼりゆく
七度うまれて君が代を
まもるといひし楠公の
ながれて世々の人ぞ知る
では、再びJRの電車に乗って、三ノ宮まで戻り
新神戸からは、JR西日本の50歳以上限定の「おとなび」で購入した、博多までこだま号6050円の切符を使って九州に帰ります。
そして新大阪からやってきた電車は、JR西日本が時速320キロ運転を目指して開発した500系。
のぞみ号として華々しく活躍し人気があった500系ですが、スピードを求めすぎた余り運用側としては使い勝手が悪く、今では各駅停車のこだまのみでの運転となっています。
グリーン車並みの4列シートに改造された指定席で九州に帰ります。
おもへば夢か時のまに
五十三次はしりきて
神戸のやどに身をおくも
人に翼の汽車の恩
開けなば更に乘りかへて
山陽道を進まゝし
天氣は明日も望みあり
柳にかすむ月の影
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