久留米駅を発車します。
田植えの準備が進む筑後平野を進み
そして大牟田着。
玉名温泉へのバスが出ています。
そして電車は筑紫平野を離れて山中へ
かの西南の戰爭に
その名ひびきし田原坂
見にゆく人は木葉より
おりて道きけ里人に
まあ今ならわざわざ道を訪ねなくても、グーグルマップでも見ながら行けばいいのですが・・
電車は山中を進み
田植えを待つばかりの峠の水田
信号場としての開設は昭和18年、旅客扱いの開始は昭和40年なので、鉄道唱歌の時代(明治33年に初版が出版)には駅はありませんでした。
峠を越え、熊本平野に降りてきて
高架線を走るようになります。
熊本着
眠る間もなく熊本の
町に着きたり我汽車は
九州一の大都會
人口五萬四千あり
今では九州最大の都市は福岡ですが、明治のころまでは熊本が最大の都市で、九州を管轄する政府官庁はその多くが熊本市に置かれていました。
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