熊本城は西南の
役に名を得し無類の地
細川氏のかたみとて
今はおかるゝ六師團
町の名所は水前寺
公園きよく池ひろし
宮は紅葉の錦山
寺は法華の本妙寺
ほまれの花もさきにほふ
花岡山の招魂社
雲か霞か夕ぞらに
見ゆるは阿蘇の遠煙
電車は熊本駅を発車します。
阿蘇の方から流れてくる白川をわたり
そして緑川を渡ります。
わたる白川綠川
川尻ゆけば宇土の里
國の名に負ふ不知火の
見ゆるはこゝの海と聞く
宇土駅。
ここから三角線が分岐します。三角線を走る観光列車「A列車で行こう」が止まってました。
三角へ向かう三角線が分かれていきます。
線路分かるゝ三角港
出で入る船は絕え間なし
松橋すぎて八代と
聞くも心のたのしさよ
三角港はかつては国際貿易港として繁栄していました。
東港と西港に分かれ、西港は明治期の港湾の様子がそのまま残り、世界遺産に登録されました
三角線の開通は鉄道唱歌出版の前年、明治32年です。しかし三角線は東港までを結び、西港まではいきませんでした。このため港としての機能は東港に移って行きました。
しかし東港も現在では貿易港としての機能はなくなり、天草への高速船や地元離島への航路が発着するだけとなっています。
ほどなく九州新幹線の高架が見えてきました
新八代を出るとすぐに終点、八代です。
八代着、12時9分
鉄道唱歌が出版された明治33年当時、鹿児島本線は八代が終点でした。
その後鹿児島まで延伸し鹿児島本線が全通したのが明治42年、ただしその当時は今の肥薩線と日豊本線、すなわち人吉・吉松・隼人を通って鹿児島に至るルートでした。
昭和2年、水俣・出水・川内を経由して鹿児島に至るルートが開通し、こちらが鹿児島本線となりました。
昭和になって開通した鹿児島本線は、平成16年、九州新幹線の開業とともに八代~川内間が第三セクターの肥薩おれんじ鉄道に移管されました。
八代駅。
前来たときはプレハブの仮駅舎でしたが、小ざっぱりした新駅舎が完成していました。
南は球磨の川の水
矢よりも早くながれたり
西は天草洋の海
雲かとみゆる山もなし
鉄道唱歌は八代まで来た後、鳥栖まで戻って長崎線を進んでいきます。
前<<< 鹿児島本線 区間快速4321M 久留米~熊本 - カリバ旅行記
≪過去レポート≫
≪鉄道唱歌で行く≫
鉄道唱歌で行く東海道本線 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15
鉄道唱歌で行く山陽本線 1 2 3 4 5
鉄道唱歌で行く日豊本線 1 2 3 4
鉄道唱歌で行く鹿児島本線 1 2 3
鉄道唱歌で行く長崎本線 1 2 3 4 5
≪タクロウ作成のサイト≫
鉄道唱歌の話
温泉の話
駅弁の話
古事記の話 ←本日更新
古事記ゆかりの地を訪ねて