カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

椀塚・柳田

讃岐国を行く 39

 

香川県坂出市に来ています

坂出市は古代讃岐国国府が置かれていた所ですが、国府の周辺には保元の乱で敗れて讃岐に流罪となった崇徳上皇の伝承地が残されています

 

 

保元の乱は保元元年(1156年)、摂関家の内紛や皇位継承をめぐり朝廷内が崇徳上皇方と後白河天皇方とに分かれて勃発した政変です。源義朝平清盛を味方につけた後白河天皇が勝利し、世の中が貴族の摂関政治から武家政権へと移り変わるきっかけとなった事件でした。

 

崇徳上皇は讃岐に配流後、国府に勤める当地の長官であった綾高遠(あやのたかとう)の屋敷を仮の御所とし(雲井御所)3年間過ごした後、木ノ丸御所(現在の鼓岡神社)に移り6年後に46歳で崩御されました

 

上皇の亡骸は京からの返事を待つ間、弥蘇場の清水に浸して保存されました。

やがて上皇は火葬され、白峰山(白峰寺境内の白峰御陵)に葬られました

 

そしてこの先「椀塚」です

 

 

崇徳上皇が使っていた食器類が埋められていると伝承されています

 

「盌塚」と彫ってあります

 

「盌」も「わん」と読み、飲食物を入れる容器の意味なので「椀」とほぼ同じ意味ですね

 

 

椀塚を離れて歩いていきます

 

すると、あぜ道の先に建つ石碑

「印鑰明神碑」だそうです

 

「印鑰」とは「印」と「カギ」を意味します。すなわち国庁の印を保管するところが「印鑰」です。

時代が下り、大切なものを守る神として院若明神が祀られるようになった、そうです

 

石碑の一面には「国府印鑰明神遺跡」

もう一面には「府中邨奨学義田」

 

あとの二面には細かい字で彫ってあります

大正5年に建立されたもののようです

 

なんかよくわかりませんが・・

 

大正4年今上天皇陛下(すなわち大正天皇)が府中村に奨学義田を設置した、

この地は元印鑰明神のあった地である」というようなことが彫ってあるようです

 

 

そこからあぜ道を進んでいきますと、

 

近頃珍しい、第四種踏切がありました

 

第四種踏切というのは警報機も遮断機もない踏切です(写真では遮断機があるように見えますが、これは注意喚起のためのもので、列車の通過の有無にかかわらず手で持ち上げることができます)

 

ローカル線では時々見ますが、ここはJR四国で最も輸送密度の高い区間であり、特急・快速・普通の各列車がバンバン通過します

 

その踏切を渡って、

 

幹線道路に出て、少し歩くと、

 

「柳田碑」への赤さびた案内板

 

自動車工場の横の荒れ地を進んでいきます

 

気が付くと、ズボンのすそにひっつき虫(センダングサの種子)がたくさんくっついていた・・

 

そんな荒れ地の先に、一本の石碑が建っています

「柳田碑」、大正10年の建立です

 

 

崇徳上皇の死因には諸説ありますが、暗殺説もあります

上皇復権や復讐を恐れた朝廷は、讃岐に刺客を送りました。これを察知した上皇は木ノ丸御所を脱出し綾川の岸に立つ柳の陰に隠れたが、川面にその姿が写り見つかって殺されたとか・・

 

 

その場所がこの柳田といいます

以来、この地では柳は育たなくなってしまったと伝わります

 

では、柳田を離れて、鴨川駅まで歩いていきます

 

今日は讃岐国分寺まで行こうかと考えていましたが、現地に来てみれば崇徳上皇の遺跡とかたくさんあって、

そんなのを見ているうちに時間が押してきて足も疲れて来た。

まだ無理すれば国分寺まで行けないことは無いが・・・

 

今回の讃岐行きはいったんここらで切り上げて帰ることにしました

讃岐国分寺はまた次の機会に訪れるとしましょう

 

 

鴨川駅まで歩いてきました

14時53分発琴平行き鈍行列車に乗り込みます

 


 

施設名 椀塚/柳田碑
所在地 香川県坂出市府中町
電話 0877-44-5036(坂出市文化振興課)
FAX 0877-46-7140(同上)
営業時間  
定休日  
料金 無料
交通 讃岐府中駅より徒歩15分
バリアフリー情報  
駐車場

令和6年1月現在

 

 

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