讃岐国を行く 27
讃岐国総社宮である総社神社に参詣した後、グーグルマップを見ながら歩いていきます
雲井御所跡まで歩いてきました
菊の御紋が入った柵が閉まってますが、
横に回ると自由に敷地内に入ることができます
雲井御所跡
ここは保元の乱に敗れ讃岐国に流罪となった崇徳上皇が一時的に滞在した雲井御所があったところなんだそうです
保元の乱は保元元年(1156年)、摂関家の内紛や皇位継承をめぐり朝廷内が崇徳上皇方と後白河天皇方とに分かれて勃発した政変です。源義朝と平清盛を味方につけた後白河天皇が勝利し、世の中が貴族の摂関政治から武家政権へと移り変わるきっかけとなった事件でした。
上皇が讃岐に上陸した時、まだ御所ができておらず、国府に勤める当地の長官であった綾高遠(あやのたかとう)の屋敷を仮の御所としました。
上皇はここで3年間過ごした後、鼓ヶ丘の木ノ丸御所(現在の鼓岡神社)に移り6年後に46歳で崩御されました
崇徳上皇は都を懐かしく思い、御所の柱に御詠歌を記されたそうです
その中に
ここもまた あらぬ雲井と なりにけり 空行く月の 影にまかせて
というのがあり、雲井御所と呼ばれるようになったということです
柵が閉まっていますが、鍵はかかってなく中に入れます
天保6年(1835年)高松藩主松平頼恕(まつだいらよりひろ)により雲井御所之碑が建立されました
同じ敷地内には仏堂が建っています
「中川観音堂」の扁額がかかっています
お堂の中
では、雲井御所を離れて歩いていきます
雲井御所のすぐそばを流れる綾川の堤防に登り、
綾川にかかる橋を渡っていきます
「菊塚」を目指して歩いているのですが、その途中、堤防の下になにやら石柱が・・
グーグルマップには載っていません
何だろう、行ってみると・・
大正6年の建立のです。
「駐蹕」(ちゅうひつ)とは行幸中に一時的に車を停めること、または一時的に滞在することです。
長命寺は450mの境内地に仏閣が並ぶ寺院であり、ここが雲井御所であったとする説もあるそうです
戦国時代に土佐の長曾我部氏の兵火によって焼失したとされています
そこからさらに歩いて、
姫塚まで歩いてきました
要するに、流罪となり綾高遠の屋敷に滞在していた崇徳上皇が、世話をしてくれた綾高遠の娘に手を出して子どもまでつくった
その子のお墓、ということですね
柵が閉まっていますが、鍵はかかってなくて中に入れます
では、姫塚も離れて、
JRの八十場駅まで歩いてきました
そこから駅のそばの踏切を渡って、
施設名 | 雲井御所跡/姫塚 |
所在地 | 香川県坂出市林田町770(雲井御所) 香川県坂出市西庄町411-3(姫塚) |
電話 | 0877-44-5036(坂出市文化振興課) |
FAX | 0877-46-7140(同上) |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 無料 |
交通 | 坂出駅より琴参バス王越瀬線木澤行きに乗車、 雲井橋下車徒歩10分で姫塚、東尾下車徒歩10分で雲井御所跡 (本数少ないので注意) |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 無 |
令和6年1月現在
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