讃岐国を行く 28
崇徳天皇は退位し上皇となった後、保元の乱に敗れ讃岐に流罪となりました
保元の乱は保元元年(1156年)、摂関家の内紛や皇位継承をめぐり朝廷内が崇徳上皇方と後白河天皇方とに分かれて勃発した政変です。源義朝と平清盛を味方につけた後白河天皇が勝利し、世の中が貴族の摂関政治から武家政権へと移り変わるきっかけとなった事件でした。
大きな鳥居の両側に小さな鳥居が付属したような、珍しい鳥居。
さすが、天皇を祀ってあるだけあって堂々とした立派な鳥居です。
扁額には「崇徳天皇」と書いてあります
鳥居をくぐり、
参道を進んでいきます
その参道を、隣接する四国八十八箇所第79番札所の「天皇寺」の参道が横切っています
写真右に行くと天皇寺の納経所、左に行くと本堂・大師堂です
隣接する・・・というより、ひとつの境内に神社と寺が同居している、という感じです
手水舎
拝殿
崇徳上皇が鎮座される本殿
境内
上皇の亡骸は今日からの返事を待つ間、弥蘇場の清水に浸して保存されました。
やがて上皇は火葬され、白峰山(白峰寺境内の白峰御陵)に葬られました
白峰宮と天皇寺の境内はほぼ一体となっていますが、管理は別々に行われているようです
天皇寺は天平年間に行基が創設し、空海が中興して「摩尼珠院妙成就寺」(まにしゅいん みょうじょうじゅじ)と名付けました
明治になり神仏分離令により摩尼珠院は廃寺となりました。摩尼珠院の筆頭末寺であった高照院が摩尼珠院の跡地に移転し、天皇寺として再興し79番札所を引き継いだそうです
境内社の拝殿
その奥には小さな本殿が立てられていました
神社名・御祭神はわかりません
境内奥にひっそりと建つ土蔵造りの社殿
御用の際は宮司さんのご自宅を訪ねるよう案内がしてありました
そして社務所の近くに立つ社殿・・・というか・・・
「胎蔵界説法」という扁額がかかっているところを見ると、どうやら仏堂のようです
で、その建物の裏に回ってみると・・・
そしてこの建物は、天皇寺の本堂でした!
「金剛界説法」の扁額がかかっています
一つの建物が神社と寺の境界線上に建ち、表と裏で別々の扁額を掲げているという、まことに珍しい構造です
そしてまた別の一角
ここも白峰宮の境内ですが、仏式のお堂が建っています
御神木の楠
といったところで、いったん境内から外に出て、
施設名 | 白峰宮 |
所在地 | 香川県坂出市弥蘇場1712 |
電話 | 0877-46-5966 |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 境内無料 |
交通 | 八十場駅より徒歩5分 |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 徒歩5分ほどのところに白峰宮専用駐車場が2か所あり
(納経所に納付) |
令和6年1月現在
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