山の神を訪ねて 令和6年3月編 3
まだ暗い境内
手水舎
和銅5年(712年)に越智玉澄により大山祇神社の地御前(本土の地にある神の御前)として勧請創建されたそうです
オオヤマツミは山の神様ですが、オオヤマツミ自身が何かしたという記述は記紀にはありません。しかしなかなか抜け目のない神様で、孫のクシナダヒメをスサノオの嫁にしたり、娘のコノハナサクヤヒメを皇室の祖先である天孫二ニギの后にしたりしています
拝殿
拝殿は愛媛県指定有形文化財であり、天正3年(1575年)に再建されたものです。
昭和12年、新社殿の完成により移転し絵馬堂となりましたが、昭和20年に戦災により社殿が焼失したため、元の位置に戻し再び拝殿となりました。
本殿
境内にはお稲荷さんの赤い鳥居が並んでおり、
鳥居の奥にある稲荷神社の社殿
御祭神は「三宝荒神」とオオナムジ
社伝は寛政6年(1794年)の建立だそうです
その荒神社の前に立つ石灯篭
こちらは御神木でしょうか
その奥の境内社「阿奈波神社」
御祭神はイワナガヒメ
山の神オオヤマツミの娘で、天孫二ニギの后となったコノハナサクヤヒメの姉になります。
二ニギは日向で美しいコノハナサクヤヒメと出会いました。二ニギはコノハナサクヤヒメを后にしたいと父のオオヤマツミに伝えると、オオヤマツミは喜んで姉のイワナガヒメも添えて二ニギのもとにおくりました。しかしイワナガヒメはとても醜い容姿だったため、二ニギはイワナガヒメをオオヤマツミのもとにおくり返してしまいました。
オオヤマツミは「わたしは天つ神の御子の命が岩のように永遠に続くようにと願いを込めてイワナガヒメを、またその御代が花のように華やかに栄えるようにとの願いを込めてコノハナサクヤヒメをおくりました。
しかし、イワナガヒメを返してコノハナサクヤヒメだけをとどめたので、天つ神の子孫の命は花のように短いものとなるでしょう」と言いました。
こうして今も天皇は天つ神の子孫でありながら短い限られた命となったといいます。
阿奈波神社
囲いの中に朱塗りの祠が建っていました
奈良原神社の拝殿
奈良原神社の本殿
御祭神はわかりません
といった感じで、
早朝の別宮大山祇神社を後にします
施設名 | 別宮大山祇神社 |
所在地 | 愛媛県今治市別宮町3丁目6‐1 |
電話 | 0898-22-5304 |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 境内無料 |
交通 | 今治駅より徒歩10分 |
バリアフリー情報 | |
駐車場 |
令和6年3月現在
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