佐世保10時9分発、長崎行き区間快速列車。
「シーサイドライナー」という愛称名がついています。途中竹松まで各駅に停車し、その後快速列車となります。
66系気動車の2両編成。さっき、早岐からここまで乗ってきた車両でした。
66系は昭和49年、国鉄が筑豊地区で運用するために製造した気動車です。キハ66・67の2両一組ユニット編成、冷房完備、両開き2扉セミ転換クロスシート、電照式の方向幕など、当時の一般型車両としては斬新で画期的な設計でした。
車内。表布は張り替えられて濃紺と黒の市松模様となり、また座席に取り付けられた立客用の手すりが取り換えられて形状が異なったものになっています。座席そのものは製造当時からの転換クロスシートのままです。
鐡道作家として著名な宮脇俊三氏は、その著書、時刻表2万キロだったか最長片道切符の旅かで「関西の新快速にも負けない」と形容していました。
しかし新快速用の117系電車は昭和54年からの製造で、歴史はこちらのほうが古いんですね。
その座席。快適な座り心地です。
しかし、窓側のアームレストはありません。また窓枠の幅が狭く、収納式のテーブルなどもちろんないので飲みかけの飲料ボトルなどは置き場に困ります。最近の転換クロスシート車と比べるとそういった点では落ちるようです。
定刻、列車は発車します。
10時23分早岐着、ここから旧長崎本線ルートに戻ります。
10時26分、早岐発。
列車はハウステンボス駅につきます。橋を渡ったところがテーマパークのハウステンボス。針生島に造られています。川のように見えますがこれ海なんですね。
ここで観光客とみられる多くの客が入れ替わりました。
次が南風崎(はえのさき)
古い石済みのホームは一部解体され、そこになぜか駅名標だけが残されています。
ここは難読駅として知られると同時に、終戦後の引き揚げの話では必ず出てきますね。
針生島の浦頭港に上陸した外地からの引き揚げ者は、検疫を受けた後現在のハウステンボスの地にあった引き上げ援護局でしばらく待機し、南風崎駅から列車に乗って故郷に帰っていきました。
やがて列車は大村湾の海岸沿いを走るようになります。
鐡道唱歌山陽・九州篇六一
南の風をハエと讀む
南風崎すぎて川棚の
つぎは彼杵か松原の
松ふく風ものどかにて
彼杵駅。嬉野温泉に行くJRバスが止まっています。
大村湾沿いに列車は走り、松原駅も過ぎて11時9分竹松着。ここで降ります。
この列車は諫早から先、新線を通っていきますので、旧線ルートからは外れます。
ここ竹松からは旧線回りの列車が出てますので、ここで乗り換えます。
今乗ってきた列車。
長崎方面に去っていく列車を見送ります。
竹松駅。
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