桜井線 奈良~高田 令和6年10月

鉄道唱歌で行く桜井線・和歌山線 1

 

令和6年10月のある日、早朝の奈良駅までやってきました

 

昨日、仕事を退勤してからそのまま博多駅に向かい、新幹線で新大阪へ。そこから天王寺まで移動し、駅前のネットカフェで休憩してから、関西本線の始発列車で奈良まで移動してきました。

 

桜井線のホームに移動してきました

ここから今年の7月の伊勢紀行以来、中断していた鉄道唱歌の旅、再開します

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 三十

 

今ぞめでたく參宮を

すまして跡に立ちかへる

滊車は加茂より乘りかへて

奈良の都をめぐりみん

 

鐵道唱歌伊勢神宮を参詣した後、元来た道を加茂まで戻ってきます

 

現在の関西本線明治25年、大阪鉄道により湊町(現 JR難波)~奈良間が開通、

明治29年に奈良鉄道により奈良~木津間が開通しています。

 

明治31年には名古屋から路線を伸ばしてきた関西鉄道が網島駅(廃止、現在の大阪市都島区)まで開通させ、現在の片町線経由で名阪ルートを開通させました。

明治32年関西鉄道は途中駅の加茂駅から分岐して、大仏駅(廃止)を経由して奈良駅までの支線を開通させました。

 

鐵道唱歌はちょうどこの時点での状況を歌っており、加茂から大仏経由の支線に乗り換えて奈良まで行っています。

 

その後明治33年に関西鉄道は大阪鉄道を買収、県都の奈良を経由する湊町~奈良~大仏~名古屋間を本線とし名阪間のメインルートを変更しました。

明治38年には奈良鉄道も関西鉄道に買収され、木津から加茂までの路線を開通させて、急勾配が存在する大仏経由の路線は廃止されて現在の関西本線が完成しています。

 

関西鉄道明治40年に国有化されています

 

桜井線のホームjに移動してきました

6時23分発高田行の鈍行列車

 

鐵道唱歌は奈良から桜井線・和歌山線を通って和歌山の方へ進んでいきます

 

桜井線は奈良~桜井間が奈良鉄道により建設され、桜井~高田間は大阪鉄道により建設されました。

両線とも後に関西鉄道に買収され、その後国有化されています

 

JR西日本227系1000番代、3扉ロングシートの車内

 

定刻に列車は発車します

 

関西本線から分かれていきます

 

 

帯解駅

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 三一

 

はや遠ざかる奈良の町

帶解寺も打ちすぎて

渡るながれは布留の川

石の上とはここなれや

 

 

帯解寺はここから徒歩5分ほどの場所にあり、文徳天皇の后・染殿皇后が当地蔵尊に祈願され清和天皇をご安産になり『帯解寺』の寺号を賜った、と伝えられています

 

文徳天皇清和天皇平安時代天皇です。

清和天皇の子孫は清和源氏として武家の棟梁となり、源義朝源義経などを輩出しました。

 

 

やがて、天理駅に近づきます

 

天理駅

明治31年丹波市駅(たんばいちえき)として誕生、昭和38年に天理市駅に、昭和40年に現在の天理駅に改称されました

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 三二

 

都のあとを教へよと

いへど答へぬ賤の男が

歸るそなたの丹波市

布留の社に道ちかし

 

「布留の社」というのは天理市内の石上神宮のことでしょう。

神武東征の途中、倒れた一行を救った剣が鎮座されています。

 

車窓から見る天理市

市内はどこに行っても天理教の施設だらけです

 

 

三輪駅

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 三三

 

三輪の杉むら過ぎがてに

なくか昔のほとゝぎす

今は靑葉の櫻井に

着きたる滊車の速かさ

 

三輪駅は大神神社の最寄り駅です

「三輪の杉むら」で「過ぎる」をかけるとともに、大神神社も表しているのでしょうね

 御神木の「巳の神杉(みのかみすぎ)」にはオオモノヌシの化身、白蛇が棲んでいるそうです。

 

 

そして桜井線の中心駅、桜井に列車は停まります

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 三四 三五 三六

 

こゝよりおりて程ちかき

長谷の觀音ふし拜み

雄略帝が朝倉の

宮の遺跡もたづねみん

 

初瀨列樹の宮のあと

問はんとすれば日は落ちて

初瀨の川の夕波に

ふくや初瀨の山おろし

 

さぐる名所の樂しさに

思はずのぼる多武の峰

峰にかがやく鎌足

社のあたり花おほし

 

「ここより降りてほど近き・・・」と言っても、

古典文学にもその名が見え「花の御所」とも称される長谷寺や、第21代雄略天皇が宮をおいた初瀬朝倉宮、藤原鎌足ゆかりの地である談山神社がある多武峰、いずれも桜井駅からはかなり離れています。

明治時代は「近い」の感覚が現代人とは異なっていたのでしょうね

 

香久山駅

大正2年の開業で、鉄道唱歌の時代には未開業です

 

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 三七

 

櫻井いでてわが滊車は

畝傍耳成香山の

鼎に似たる三山を

前後に見つゝ今ぞゆく

 

奈良盆地の中にそびえる天香久山畝傍山耳成山大和三山と称しています

 

畝傍駅

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 三八

 

畝傍の麓橿原に

始めて都したまひし

御威も高き大君が

御陵をがめ人々を

 

畝傍駅は日本の皇室初代である神武天皇が置いた畝傍橿原宮の跡に建つ橿原神宮、また神武天皇の御陵である畝傍山東北陵の最寄り駅です

駅舎内には皇族が利用された貴賓室も残っています

 

ただし橿原神宮の参詣には近鉄橿原神宮前駅、また橿原市の中心街へは同じく近鉄大和八木駅の方が便利であり、利用客数は近鉄戦の方が圧倒的に多く、

桜井線の畝傍駅は今では寂しい無人駅となっています

 

 

終点の高田着、7時6分

ここで和歌山線の和歌山行き列車に乗り換えます

 

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 三八

 

高田わかれて右ゆけば

河内に走る線路あり

路にすぎゆく柏原の

名高き寺は道明寺

 

鐵道唱歌ではいったん王子方面に乗り換えて柏原まで行き戻ってきています

 


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