カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

東海道本線 1857E 大船~国府津

鉄道唱歌で行く東海道本線 8 / 青春18令和2年春紀行 2日目

 

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大船駅東海道本線の下り列車に乗り換えて鉄道唱歌の旅を再開します。

11時29分発、熱海行き鈍行列車。

 

 

 

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 車内。

 

首都圏の普通列車の普通車は「4扉ロングシート」と何度か申し上げてきましたが、実は10~15両の長い編成のうち編成端部の2両だけ4扉セミクロスシートになっています。

 

 

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 横須賀線から分かれて走っていきます。

 

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 相模川を渡ります

 

鐵道唱歌東海道篇 十一

 

支線をあとに立ちかへり

わたる相模の馬入川

海水浴に名を得たる

大磯みえて波すゞし

 

 

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 大磯の海を遠くに見ながら

 

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 国府津につきました。12時3分着。

ここで降ります。

 

この先、東海道本線は小田原、熱海を過ぎ、全長7804mの丹那トンネルに入ります。ただし、丹那トンネルの開通は昭和9年のことです。

 

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はるかな昔から箱根の峠越えは東海道の難所でした。

 

トンネルを掘削する技術も未熟だった明治時代、東海道本線は箱根外輪山の北側をぐるっと迂回するルートで開通しました。すなわち今の御殿場線です。

 

それでも短いトンネルや急勾配が続き、非力な蒸気機関車では増え続ける輸送量に対応できなくなってきていました。

そこで丹那トンネル経由の新線を建設し、難工事の末、昭和9年に現行ルートが開通しました。

 

 

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 国府津駅

 

ここから御殿場線、すなわち明治33年に鉄道唱歌が発表された当時の東海道本線に乗り換えて進んでいきます。

 

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 駅前にあった記念碑

 

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銅板レリーフには鉄道唱歌の歌詞が彫られています。

 

鉄道唱歌 十二

 

國府津おるれば馬車ありて

酒匂小田原とほからず

箱根八里の山道も

あれ見よ雲の間より

 

明治21年国府津駅から小田原や湯本に至る小田原馬車鉄道が開通しました。明治33年に 電化し社名を小田原電気鉄道に改称しました。

しかし大正9年国鉄熱海線の開業により路線廃止。

 

歌詞は後の改版で「國府津おるれば電車あり」と改訂されています。

 

国鉄熱海線は丹那トンネルの開通とともに東海道本線に組み入れられて現在に至ります。

 

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