鉄道唱歌で行く日豊本線 1 / 青春18平成31年春紀行 2日目
では、この春の青春18紀行2日目、日豊本線を宇佐まで下っていきます。
まずは早朝の門司港に出て来ました。
大正3年完成の門司港駅舎は長らく修復工事中でした。つい先日、3月10日に完成し竣工時の姿に復元されたばかりです。
開業当初は門司駅と称しており、関門連絡船が発着する九州の玄関口でした。
駅舎内。当時の姿に復元されています。
改札口がありますが、その手前向かって右側
地下通路のようなものがあります。しかし中はコンクリートの壁で塞がれています。
これはかつての関門連絡船乗り場への通路でした。
関門トンネル開通前は、九州各地からきた旅行客はこの通路を通って連絡船に乗り、下関に上陸して山陽本線に乗り換えて行きました。
では、青春18きっぷを見せて改札を通ります。
正面にはなにやらモニュメントが並んでますが
九州の鉄道起点を示す0哩(マイル)の記念碑
明治から昭和初期までは鉄道の距離を表現するのにヤード・ポンド法を使ってました。
1番ホームのわきに立つのは現在のメートル法による0キロポスト、もちろん記念碑ではなく本物、鹿児島本線の起点を示しています。
ホーム
そこにホームに入ってきた7時17分発の小倉行き鈍行列車、国鉄415系電車4両編成。
3扉セミクロスの車内。小倉までわずか13分の道のりです。
電車は右手遠景に関門海峡を見ながら走ります。
小森江駅。
関門トンネルの開通前はこの近くに小森江桟橋があり、国鉄の貨物専用航路が下関との間に就航していました。
ただし今の小森江駅とは無関係です。小森江駅はJR九州が昭和63年に新規開業しました。
開業当初は大里駅と称していました。関門トンネルの開通後は九州の玄関口としての地位をそれまでの門司駅から奪い取りこちらが門司駅となりました。それまでの門司駅は門司港と改称されました。
門司駅発車後に北九州貨物ターミナルの横を通り抜けます。
そして小倉着。
門司より起こる九州の
鐵道線路をはる╱╲‶ と
ゆけば大里の里すぎて
こゝぞ小倉と人はよぶ
既に申し上げた通り、この歌詞中の「門司」は今の門司港、「大里」は今の門司です。
鉄道唱歌が発表された明治33年当時、鉄道は下関まで到達しておらず、徳山から汽船に乗って門司から九州入りしていました。
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