鉄道唱歌で行く信越本線 5 / 青春18令和3年春紀行 初日
横川駅からバスで碓氷峠を越えて、軽井沢駅までやってきました。
信越本線は平成9年、北陸新幹線の開業に伴い、軽井沢~篠ノ井間は第三セクターのしなの鉄道に移管されました。
しなの鉄道では青春18きっぷは使えないので、券売機で篠ノ井まで1470円の乗車券を購入し、入場します。
ホームに停まっていた電車。8時10分発、長野行き快速列車。篠ノ井からJR線に乗り入れて長野まで行きます。
国鉄型の電車はその構造上、本来は3両以上でないと運転できません。改造により2両でも運転できるようにしてあるのでしょう。
改造してあるといってもJR西日本のようなのっぺり顔ではなく、前後とも国鉄顔でした。
電車が停まっている向こうには、かつて碓氷峠で列車の後押しをしていたEF63型電気機関車、そして写真には写ってませんがEF63の後方には、アプト式で登っていた時代の凸型電気機関車が保存展示されていました。
三扉セミクロスシートの車内。
ブルーのシートにライトグリーンの化粧板・・これぞ元祖、国鉄近郊型電車!!
トイレはありませんのでご注意を。
電車は発車します。
右側車窓に見える浅間山。
くだる道には追分の
原とよばるゝ廣野あり
桔梗かるかや女郎花
秋の旅路はおもしろや
浅間山は後ろに過ぎていき
JR小海線との連絡駅です。
御代田小諸とすぎゆけば
左に來る千曲川
立科山をながれ出て
末は越後の海に入る
千曲川がわずかに見えました
越後の国に入ると「信濃川」と名を変えて日本海にそそぐ、長さ日本一の河川です。
諏訪の湖水を見る人は
大屋を降りて和田峠
こゆれば五里の道ぞかし
山には馬も駕籠もあり
明治時代、諏訪大社の参拝客は、ここから馬や駕籠で諏訪まで向かっていたんですね。
鉄道唱歌の時代(明治33年に出版)になって駕籠という交通機関がまだあったのは意外です。
和田峠を越えれば5里、20kmと言っても・・・そこまでの道が長い。
大屋駅から諏訪湖までは国道152号・142号経由で46kmあります。
中央本線が首都圏から上諏訪・下諏訪を通って岡谷まで開通したのは明治38年のことでした。
ちなみに江戸時代の中山道は、軽井沢から現在の北陸新幹線に沿って佐久平付近まで行き、そこから国道142号線で笠取峠・和田峠を越えて下諏訪宿に至るルートとなっています。
上田をあとに走りゆく
汽車は坂城に早つきぬ
川のあなたにながめやる
山は姨捨月見堂
矢代駅
千曲川を渡ります
しなの鉄道はここまでです。ここから長野までの9.3kmはJR信越本線として残っています。
名古屋から特急しなのが篠ノ井線を通って長野まで来るので、ここだけJRの路線として残したのでしょうね。
田毎の月の風景も
見てゆかましを秋ならば
雲をいただく冠著の
山はひだりにそびえたり
列車はそのままJR線に乗り入れて長野まで進んでいきます。
屋代篠井うちすぎて
わたる千曲と犀川の
間の土地をむかしより
川中島と人はよぶ
こゝに龍虎のたゝかひを
いどみし二人の英雄も
おもへば今は夢のあと
むせぶは水の聲ばかり
ちなみに川中島駅の開設は大正6年であり、鐵道唱歌の出版時(明治33年)には駅はありません。
犀川を渡ります。
定刻10時10分、長野着
長野に見ゆる大寺は
是ぞしなのゝ善光寺
むかし本田の善光が
ひろひし佛なりとかや
こゝにとゞまるひまあらば
戸隠山にのぼり見ん
飯綱の原のほとゝぎす
なのる初音もきゝがてら
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