鉄道唱歌で行く信越本線 10 / 青春18令和3年春紀行 初日
16時16分発、新潟行き鈍行列車。
今回、最後の列車です。
三扉セミクロスシートの車内。ただし車両の半分以上はロングシートで、ボックスシートは4組だけです。
定刻に発車
冷たい雨が降る中、まだ雪が残る三月の越後路を進んでいきます。
汽車の窓から西北に
ゆく╱╲望むは彌彦山
宮は國幣中社にて
參詣男女四時たえず
彌彦にゆくは三條に
おりよと人はおしへたり
吾身は何も祈らねど
いのるは君が御代のため
隣の東三条から弥彦に至る弥彦線が開通したのは大正時代。この当時(鉄道唱歌は明治33年に出版)はまだありません。
弥彦神社の参詣客は、この三条駅から20キロの道のりを歩いて行ったのでしょうか。
ここから上越新幹線の連絡駅である燕三条を通って、弥彦神社の最寄り駅である弥彦に至る、弥彦線が出ています。
大正15年に現駅名に改称されるまでは「一ノ木戸駅」と名乗っていました。
窓ガラスを冷たい雨が斜めに流れ落ちていきます。
加茂駅
加茂には加茂の宮ありて
木の間の鳥居いと清く
矢代田驛の近くには
金津の瀧の音たかし
十一年の御幸の日
かたじけなくも御車を
とゞめ給い松かげは
今この里にさかえたり
「十一年の御幸」って何?
調べてみると、明治天皇は明治11年8月30日から11月9日にかけて、北陸・東海道地方を巡幸されているみたいです。新潟県内には9月10日から18日間滞在されました。
しかし分かったのはそこまで、「御車を停めた」という松のことは分かりませんでした。
そして古津の次が新津
だんだん日が落ちていきます。
降っていた冷たい雨は、みぞれから雪に変わったようです。
そして新潟市内に入りました。
もみぢは新津秋葉山
櫻は龜田通心寺
わするな手荷物傘鞄
はやこゝなるぞ沼垂は
「沼垂駅(ぬったりえき)」は信濃川の右岸、現在の新潟市中央区沼垂に在った駅です。北越鉄道(現在の信越本線)は沼垂が終点で、新潟側のターミナル駅とされました。
と言っても当時は中蒲原郡沼垂町。当時の新潟市は信濃川の左岸だけであり、県庁も信濃川左岸にありました。
北越鉄道が当時の新潟市内まで路線を伸ばさなかったのは、信濃川を渡る鉄橋の建設に莫大な費用が掛かるからでした。
その後明治37年、信濃川左岸とを結ぶ万代橋の近くまで路線を延長し新潟駅を開設。戦後の昭和33年、線形を改良し現在地に移転しています。
17時34分、終点・新潟着。
手荷物、かさ、カバンはともかく、携帯電話は忘れないように!(経験あり・・・)
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