鐵道唱歌で行く信越本線 3 / 青春18令和3年冬紀行 初日
高崎6時58分発、横川行き鈍行列車。
ステンレスの車体に湘南色の帯を巻いた国鉄211系電車、4両編成。3扉ロングシートの車両です。
高崎からは信越本線となります。
信越本線は高崎から長野・直江津を通って新潟まで至る路線でした。
高崎~直江津間は官設鉄道(国鉄)として明治26年に全線開通、また直江津~沼垂(当時の新潟市近郊に在った駅・現在は廃止)間は私鉄の北越鉄道が明治31年に全線開通させました。北越鉄道は明治40年に国有化されました。
しかし昭和6年に上越線が開通すると、首都圏と新潟を結ぶ機能は上越線に移りました。
上越線開業後も信越本線は首都圏と長野を結び、また日本海縦貫線の一部としても機能していました。
しかし平成9年、北陸新幹線の開業に伴い横川~軽井沢間が廃止、軽井沢~篠ノ井間はしなの鉄道に移管。さらに平成27年、新幹線の延伸開業により長野~直江津間がしなの鉄道・えちごトキめき鉄道に移管されてしまいました。
結果、現在信越本線となっているのは高崎~横川間、篠ノ井~長野間、直江津~新潟間、と、ズタズタに分断されてしまいました。
定刻、列車は発車します。
鉄道唱歌の出版は上越線開業前の明治33年なので、信越本線を通って新潟まで行くようになっています。
高崎いでゝ安中の
つぎは磯部の温泉塲
うしろをゆくは碓氷川
まへに立てるは妙義山
鉾か劍か鋸か
獅子か猛虎か荒鷲か
虚空に立てる岩のさま
石門たかく雲をつく
ぼくが乗っている最後尾車両には乗客が誰もいなくなりました。
そして終点、横川駅に入ります。
横川からさき、線路はありません。
かつてはこの先、碓氷峠の急勾配がそびえていました。66.7パーミルのこの勾配は重い貨物列車は勿論、軽量の旅客列車さえもそのままでは超えることができませんでした。
北陸本線開業前のこの区間では、ここだけのために開発製造されたEF63という、特殊な機関車を二両、後押しのため連結していました。
さらにEF63が製造される昭和38年以前はラック式というものが使われていました。これは機関車に歯車を取り付け、線路側には歯車状のレールを取り付けてこれをかみ合わせて急勾配を登るというものです。
横川駅の広い構内は、機関車の入れ替えをしていた名残です。
高崎から33分、7時31分横川着。
あとに見かへる松井田の
松のみどりもかげきえて
はや横川につきにけり
おりよ人々水のみに
降りよ人々水飲みに・・・と言われたって、今の信越本線はここが終点なので、飲みたくなくても降りざるを得ませんが
ホームの先には車止めとなっており、この先線路はありません。
駅を出て左側に進むと、鉄道が廃止された後代替として運行されているJRバス乗り場です。
横川駅
駅前には 駅弁「峠の釜めし」を販売している「おぎのや」がありました。
かつてはここで機関車の増解結を行っていたので停車時間が長く、その間に駅弁がよく売れていたそうです。
現在は横川駅・軽井沢駅・安中榛名駅などのほか、商業施設や高速道サービスエリアなどでも販売しているそうです。
もっともコロナの影響か、それとも朝早いからなのか、どこにも弁当は売っていません。
そして、駅前の排水溝を覆っているこの蓋、
かつて、碓氷峠で使われていたラックレールの再利用らしいのです。
これより音にきゝゐたる
碓氷峠のアブト式
齒車つけておりのぼる
仕掛は外にたぐひなし
駅を出て左手のほうに進んでいきます。
駐車場を突っ切っていくと「碓氷峠鉄道文化むら」です。
まだ早朝なので、門は閉まっていて中には入れません。
ただ、柵の外から保存展示されている車両の一部を見ることができました。
碓氷峠で後押ししていた専用の機関車EF63
駐車場の一角にある、軽井沢行きのバス乗り場。
奥の駐機場には青い車体のJRバスが停まっています。
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