山陰本線 浜田~益田~長門市 令和5年4月

石見国を行く 15 / 青春18令和5年春紀行 5日目

 

JR山陰本線浜田駅まで戻ってきました

 

浜田16時30分発、益田行き鈍行列車

JR西日本キハ120形気動車の単行

 

ボックスシートが4組だけの、セミクロスシートの車内

 

この後、米子から来た鈍行列車からの乗り継ぎ客で、車内は満員になりました

 

今年(令和5年)3月18日の時刻改正前はこの時間帯、米子~益田間を126系2両で直通していましたが、改正後は浜田で系統分割されてしまいました。

標準的な大きさの126系2両で運んでいた客を、小型気動車120形1両に押し込んだもんだから、そりゃ混雑するわな・・・

 

この列車はぼくが出雲の史跡・神社巡りをした後、帰り道によく利用していた列車でした

青春18きっぷで九州に帰るのに便利な列車だったんだが、これからはこの混雑した列車に乗るのかと思うと・・気が重い・・

 

 

列車は発車すると、すぐに日本海沿岸を走ります

 

 

 

 

陽が沈みかけた日本海を見ながら、日を追いかけるように西に走り、

 

 

 

終点の益田、17時18分着

 

 

17時47分発、小串行き鈍行列車に乗り換えます

40系気動車キハ40の単行

 

この列車、

3月18日改正前は長門市で系統分割されていたのですが、これが一本の列車で乗り換えなしに小串まで行けるようになりました

その一方で益田~長門市間は2両で運転されていたのが1両に減車されました

 

また、この列車で九州に乗り通すにあたって、3月18日の改正でまた別の問題も生じたのですが、それはまた後程

 

 

ちなみにこの時間帯、令和2年3月の改正前は、益田~下関間は一本の列車で乗り換えなしで直通で来ていました

 

列車は益田駅を発車

 

日本海に沈む夕日を追いかけるように西に列車は走っていきます

 



 

だんだん陽が沈んでいきます

 

 

 

 

 

萩市の中心駅、東萩駅

 

 

 

 

そして長門市、19時36分着

列車はこの先小串まで走っていき、小串で下関行き鈍行列車に接続していますが、ぼくは長門市で降りました

 

実は3月18日改正前はこの時間帯の列車で行くと下関には21時41分についていたのですが、改正後は21時48分着となりました

この7分の差は大きく、その後の接続が悪くなり、福岡市内のぼくの自宅の最寄り駅に着くころには40分近く遅くなっててしまいます

仕方ないな・・・とこのまま乗っていくつもりにしていたのですが・・

 

あきらめきれず列車の中で時刻表をめくって調べていたら、長門市で降りて美祢線山陽本線と乗り継ぐと、下関には21時37分に到着することを発見!!

おおーっ!

これで家には40分早く、昔と同じ時間帯で到着できるー!!!

 

というわけで、19時44分発の厚狭行き鈍行列車に乗り換えます

これが美祢線上りの最終列車です

 

という感じで、無事帰り着きました

 

といったところで、この春の青春18紀行、お開きにさせていただきます

最後までお読みいただきありがとうございました

 



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