スセリヒメの生地を訪ねて 1 / 青春18平成31年春紀行 最終日
益田に泊まった翌朝、冷たい雨が降っていました。
早朝5時過ぎにホテルを出て、雨の中、まだ真っ暗な益田駅にやってきました。
今日は青春18きっぷ、5日間の最終日。これから出雲神話、スセリヒメにまつわる地を訪れてみようと思います。
スセリヒメはスサノオの娘であり、オオクニヌシの妻となりました(白うさぎの話で出てくる因幡のお姫様ではありませんよ、混同しないように)
まだ暗い構内にエンジンの音が響いています。
益田5時36分発、出雲市行きの鈍行列車が入って来ました。JR西日本キハ120の2両編成。
車内、ボックスが4組だけのセミクロスシート。
海側のボックスに席をとります。
まだ暗い中、列車は発車しました。
薄暗い海岸沿いを走ります。
少しずつ空は明るくなって来ました。
6時4分、三保三隅着。6時10分の発車まで停車します。
その間、益田駅を今乗っている鈍行列車の13分後の5時49分に発車した、特急スーパーまつかぜ4号が追い抜いていきました。
雨の中、日本海岸をはしっていきます。
だいぶ空が明るくなってきました。
江津、7時着、7時3分発。車内は高校生でいっぱいです。
仁万駅、ここで高校生たちは降りていきました。
すっかり明るくなった日本海岸を進み、
五十猛駅。駅名はスサノオの息子のイソタケルからきています。
高天原から新羅(朝鮮)に降りたスサノオとイソタケルでしたが、「こんなところは嫌だ!」と船で日本海に漕ぎ出しこの地に上陸、その後出雲の国を目指したそうです。
駅から見える海岸。この地にスサノオとイソタケルが上陸したのですね。
そして出雲神西(いずもじんざい)着8時40分。ここで降りました。
列車はこのまま出雲市まで走っていきます。
この駅は昭和57年開業、開業時の駅名は「神西」、その後平成5年に「出雲大社口」と改称されました。
これは大社線の廃止によりJRに「大社」を称する駅名が無くなったため、地元の要望により出雲大社に一番近いこの駅を改称したものでした。
・・・しかし、出雲大社に一番近いと言っても、その距離、約9キロ!
とても歩いていける距離じゃない。出雲大社へのバスが出ているわけでもなく、タクシーが常駐しているわけでもない無人駅。
案の定、改称直後からこの駅に降りてトラブルになる観光客が続出、大問題となりました。
あげくの果てに、わずか6年後の平成11年、現在の「出雲神西」に再改称されたのでした。
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