出雲神話の伝承地を訪ねて 20 /青春18平成30・31年冬紀行 5日目
揖屋駅に戻ってまいりました。
今回の旅、見学はひと通り終了。
あとは帰るだけですが、この後揖屋12時20分発の電車でいったん松江に出ます。
入ってきた揖屋12時20分発の西出雲行き鈍行列車。のっぺり顔の115系2両編成です。
車内。
揖屋の次、東松江駅です。
コンテナが積み上げられていますが、すでに貨物列車は廃止されています。コンテナはトラックで運ばれてきています。
そして列車は大橋川に沿って走ります。大橋川は斐伊川水系であり、斐伊川を流れてきた川は宍道湖にそそぎ、そこから大橋川を通って中海に出て、境水道で日本海岸に出ます。
この境水道までが斐伊川水系とされています。つまり中海は海ではなく湖であり、堺水道は海峡ではなく河川であり、すべて内陸にある水面という位置づけなんですね。
その大橋川にポツンと浮かぶ島、塩楯島というそうです。
島内に鳥居が見えます。
手間天神社といって、島全体が神社の境内になっているそうです。
祭神はスクナビコナの神です。
日本神話
オオクニヌシが美保の海岸にいたとき、蛾の衣を着た小さな神が草の実を盾に割った小さな船に乗ってやってきた。オオクニヌシが名を聞いても答えない。
その時、クエビコが言った「これは造化三神の一人、カミムスビの子のスクナビコナです」
クエビコとは山田の案山子の神である。歩くことはできないが、昼も夜も雨の日も風の日も目を開いて日本の国を見渡しているので、世の中のことを何でも知っている。
オオクニヌシは高天原のカミムスビに伺いを立てると
「まさに私の子だ。あまりに小さいので、私の指の間からこぼれたのだ。これからはオオクニヌシとスクナビコナ、兄弟となって一緒に日本の国を作っていくが良い」といった。
こうしてオオクニヌシとスクナビコナは協力して日本の国土造営を行っていき、日本は豊かな国となっていきました。
手の間からこぼれたので「手間天神社」なんでしょうね。また手の間から降臨する際に海の塩が固まって島になったのが「塩楯島」なんだそうです。
ちなみに普段は一般人は島には渡れず、祭礼の日に許可を受けたもののみ上陸できるそうです。
さらに列車は大橋川に沿って進み
10分ほどで松江着。ここでいったん降ります。
いったん改札を出て、飲み食いするものを調達。再び元のホームへ。
入ってきたのは13時20分発、益田行き。出雲市からは快速アクアライナーとなります。益田まで約3時間30分、これで一気に西進します。
セミクロスの車内。
列車は宍道湖に沿って走ります。
そして斐伊川を渡ります。斐伊川は出雲神話の重要な舞台であります。
日本神話
大変乱暴な神で父神・イザナギや姉神・アマテラスを散々困らせ、天岩戸事件を起こしたスサノオは、高天原を追放された。
高天原から地上に降りたスサノオは出雲の斐伊川流域、鳥髪というところに来ていた。すると上流から箸が流れてくるのを見て、川上に人が住んでいると思い、歩き出した。
一軒の家があった。中では若い娘を囲んで老夫婦が泣いていた。聞けばヤマタノオロチが老夫婦の娘を毎年順番に襲い、最後に残ったクシナダヒメが明晩、ヤマタノオロチに食べられるのだという。
スサノオはクシナダヒメに求婚しヤマタノオロチ退治を申し出た。
スサノオが斬ったヤマタノオロチの血は、斐伊川を真っ赤に染めたという。
斐伊川は大変な暴れ川で何度も氾濫し、流路を変えてきました。この水害がヤマタノオロチ伝説につながったという説もあります。
かつては出雲平野を西に流れて島根半島の西側から日本海に流れていたそうです。それを江戸時代の洪水を契機に流路を東側に変えて宍道湖にそそぐように治水工事が行われ、現在の川筋となりました。
また流域では古来より製鉄が盛んに行われ、酸化鉄で河原は真っ赤になっていたそうです。これが「ヤマタノオロチの血で川は真っ赤に染まった」という話のもとだそうです。
斐伊川を渡ると出雲の市街地に入り、昨日出雲大社から乗ってきた一畑電車の線路もより沿ってきて、出雲市につきます。
出雲市発14時1分、出雲市から列車は快速列車となり、次の停車駅は14時28分の大田市です。快速列車で27分間もノンストップというのはなかなか豪快。
出雲市を出たところで、松江で購入したお弁当を開きます。
宍道湖のシジミに日本海のカニ。
「もぐり寿司」と言いますが、御飯の中には何にももぐってはいませんでした。
でも、うまみと歯ごたえあるシジミとカニは絶品です。
列車はやがて日本海に出ます。
冷たいビールに日本海、駅弁・・・これぞ汽車旅!
しかしこんなことができるのもあと何年だろうか・・・
日本海岸を列車は進み
通過駅の波根駅。上りの快速アクアライナーが運転停車しています。対向列車を待たせておいてこの列車はすっ飛ばしていきます。
こうやっていくつも駅を通過していきますが、ボックスシートに収まってこんな光景を見ていると、昭和時代の国鉄急行列車に乗っているような感覚がしてきます。
さらに日本海岸を列車は進み
大田市着、定刻14時28分。
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≪過去レポート≫
平成30年4月 平成29年12月 浜田~出雲市 出雲市~米子
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