門司港駅は明治24年に門司駅として開業。当時の九州鉄道の起点駅でした。
明治31年には山陽鉄道が徳山からの航路を開設させて以来、九州の玄関口としての機能を果たしてきました。
現在の駅舎は大正3年に竣工し、平成31年に解体保存工事が完成しています。
昭和17年に関門トンネルが開通し九州の玄関口としての地位は失いました。関門トンネルの九州側出入り口は大里駅に設けられ、その大里駅は門司駅に、門司駅は門司港駅に改称されました
駅舎内
開業当時の様子が再現されています
〇哩(ぜろまいる)記念碑
ここが九州の鉄道の起点であることを示しています
九州線唱歌 汽車 二 三
門司の關屋の跡舊りて
あらたに起こる石炭の
輸出にぎはふ一大市
鹿兒島線の起點の地
和布刈神社の鎭座せる
和布刈の鼻に立つ時は
壇の浦波目の前に
ながめやられて夏涼し
こちらは現在の0キロポスト
日本の鉄道は開業以来マイル・チェーン法が用いられており、昭和5年に現在のメートル法に改められました
7時34分発、鳥栖行きの区間快速列車、JR九州の813系電車に乗り込みます。福間~二日市間が快速運転となります。
車内
元は快適な転換クロスシートだったのですが、ドア付近の座席が撤去されています。一両につき16名分もの座席定員減となっています
快適な転換クロスシートの811・813系電車、200系気動車を世に出して喝采を浴びたのは今は昔。昨今のJR九州は座席は撤去しロングシート改造して、とにかく詰め込むことしか頭にないようです。
快速列車も大幅に削減され、博多~大牟田間では系統分割されて・・・
JR九州は西鉄天神大牟田線(福岡~大牟田)、西鉄高速バス・JR西日本山陽新幹線(福岡~小倉)との競争も完全に放棄してしまったようです。
門司港駅を列車は発車します
門司駅に近づきます
関門トンネルに貨物列車が入っていきます
門司駅に到着
九州線唱歌 汽車 四
門司打ち過ぎて大里驛
海邊葉音に企救の濱
安徳帝のおはしつる
柳の御所も此ところ
門司駅は明治24年、九州鉄道の開通とともに「大里駅」として開設されました。
昭和17年に関門トンネルが開通し、同時に門司駅と改称されました。それまでの門司駅は門司港駅と改称されました。
門司駅を過ぎると、広大な北九州貨物ターミナルの横を通り、
小倉駅に到着
九州線唱歌 汽車 五
織物名高き小倉市に
置かるる師團は第十二
見るべき寺は眞宗の
九州本山永照寺
九州線唱歌 汽車 一一
小倉に歸りて又ゆけば
煤煙おほう若松の
港はあれよと洞の海
隔てて向ふ戸畑驛
「九州線唱歌 汽車」は、小倉からいったん日豊本線を南下し当時の日豊本線の終点であった宇佐まで行ってから小倉に戻ってきます。
当時は殖産興業の真っただ中、公害対策も全くなされておらず、戸畑・八幡・若松の空は煤煙で真っ黒になっていたことでしょうね。
そしてスペースワールド駅をすぎて左車窓に見えてくる「東田第一高炉」
1901年、すなわち明治34年に創業した溶鉱炉です。現在は史跡として保存されています。
九州線唱歌 汽車 一二
三十哩の鐵道を
構内長くも敷き渡す
東洋一の大規模を
示すは八幡の製鐵所
かつては広大な工業地帯を網の目のように専用鉄道が張り巡らされていました。
令和6年の12月、暗く重い雲の下を電車は走っていきます
遠賀川を渡っていきます
鉄道開通前はこの遠賀川に手漕ぎの船がたくさん浮かんで若松の港に筑豊地区からの石炭を運んでいました。
冷たい雪交じりの雨が降ってきました。
城山トンネルをくぐると、北九州都市圏から福岡都市圏に入ります
宮地嶽神社の最寄り駅となります。列車は福間から快速運転となります。
こちらは香椎宮の最寄り駅です
九州線唱歌 汽車 一三 一四 一五
神功后の舊蹟を
殘すは福間の宮地嶽
仲哀帝の御廟所は
博多灣線のりかえて
ゆけば多多羅の川尻に
望む名島の波間より
帆柱石ぞ空に立つ
むかし弘安年中に
蒙古の戰艦襲來し
我と戰い敗られて
沈みし遺跡は此海邊
「博多湾線」というのは博多湾鉄道のことですね。現在のJR香椎線と西鉄貝塚線の2路線を運行していました。
名島の帆柱石というのは約3500万年前の珪化木(樹木の化石)です。伝説では神功皇后が三韓征伐に使用した船の帆柱ということになっています。最寄り駅は西鉄貝塚線の名島駅です。
なので作詞者の大和田建樹は香椎駅から現在の貝塚線で名島に行ったのかな・・と思いましたが、貝塚線の開通は大正13年。九州線唱歌の出版は明治42年ですので当時はまだ未開通です。
おそらく大和田さんは明治37年開通の香椎線に乗り、西戸崎まで行く途中で遠く博多湾のかなたの「望む名島の波間より」帆柱石を見たのでしょう。現在は埋め立てが進み、香椎線に乗っても見えるのは人工島「福岡アイランドシティ」だけで、名島の帆柱石など見えません。
列車は高架線に入っていきます
九州大学の広大な跡地が見えています。旧帝大の九州大学は糸島市に移転しています。
九州線唱歌 汽車 一六
醍醐の帝の宸筆を
寫して敵國降伏の
四大字書きたる額面の
快速列車は箱崎駅は通過していき
博多駅に到着
乗客の大半が入れ替わります
九州線唱歌 汽車 一七 一八 一九
多多羅の濱より博多まで
つづける千代の松原は
三松原の其一つ
ながめ妙なる景色かな
東公園打ち過ぎて
下車せば帶地の名産地
博多と西の福岡を
合せて呼ばるる福岡市
九州一の大都會
商業日々に榮えゆく
西公園の展望は
玄界沖まで唯一目
列車は筑紫平野を走って行きます
さっきまで雪交じりの雨でしたが、天気よくなりました。山の上の方はうっすらと雪で白くなっています。
太宰府天満宮の最寄り駅となります
九州線唱歌 汽車 二〇 二一
遠き船路と古は
よそに聞きたる筑紫路も
都を出でて二日市
おるれば太宰府天満宮
恩賜の御衣を捧持して
餘香拜せし誠忠の
心を仰ぐ天拜山
山の麓は武蔵の湯
「都を出でて二日市」というのは、東京から2日目で着いた、ということと地名の二日市をかけているのでしょう
「武蔵の湯」というのは現在の二日市温泉のことです。
そして終点の鳥栖駅、10時4分着
7時34分に門司港を出てからずっと立ちっぱなしでした・・・
向かいのホームに10時6分発の大牟田行き鈍行列車が停まっていますが、一本遅らすことにしました。
この先、後発の快速列車に乗っても大牟田で追いつきます。
いったん改札を出て、
駅舎内のうどん店に入ります
鳥栖駅で昔から立ち食いうどんと駅弁の販売を行っている「中央軒」
5・6番ホームのうどんが美味しいそうですが、ホームは寒いので駅舎内に移動してきました
店内は数席だけのカウンターとなっています
「かしわうどん」を注文
うどんの上に細かく刻んだかしわがのっています
「かしわ」というのは鶏肉のことです。ぼくはこれ全国共通語だと思っていましたが、九州と関西の一部でしか通用しない言い方らしいですね。最近知りました。
「かしわうどん」というのは他で言うかけうどん的な存在で、他のトッピングを頼んだ場合でもかしわは入っています。かしわ抜きのうどんを希望する場合はその旨店員さんに伝えなければなりません。
よく出汁の効いた熱々のうどん、美味しくいただきました
明治36年竣工の現役の駅舎です。
九州線唱歌を作詞した大和田さんもこの駅舎を見ていたのでしょうね。
一年間お読みいただきありがとうございました
来る年もよろしくお願い申し上げます
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