旧ブログでアップロードした青春18夏紀行以来、久々の鉄道旅行レポートです。今回は長崎本線の旧線に乗って博多から長崎に至る行程を、鉄道唱歌とともにレポートしたいと思います。
長崎本線鳥栖~長崎間の全通は明治38年。しかし当時は今のルートと大きく違ってました。
まず肥前山口~諫早間。ここは武雄・早岐・大村経由、すなわち現在の佐世保線・大村線のルートで結んでました。今の鹿島経由のルートが開業し長崎本線となるのは昭和9年です。
また諫早~長崎間。この間2本のルートがあり、先に開業したのは長与経由の路線です。現川経由の新線開業は昭和47年、以降こちらがメインルートとなり、優等列車は新線を通るようになりました。
今日はその旧線を博多から長崎まで乗りとおします。
早朝の博多駅
6時21分発、大牟田行き快速。JR九州811系電車の4両編成。
鐡道唱歌山陽・九州篇四〇
織物産地と知られたる
博多は黑田の城のあと
川をへだてゝ福岡の
町もまぢかくつゞきたり
博多と福岡、今は両方とも福岡市となっています。昔は那珂川を挟んで東側が博多、西側が福岡と分かれていました。
作詞者大和田建樹の勘違いでしょうか、黒田の城下町は福岡で、博多は商人の町として栄えてきたところです。
車内。この早朝から混んでいます。
運転台かぶりつきを決めます。
定刻、発車。
外はまだ真っ暗です。
沿線に建つマンションでは朝の支度をする家庭の明かりがともっています。
二日市に到着します。
鐡道唱歌山陽・九州篇四一
まだ一日とおもひたる
旅路は早も二日市
下りて見てこん名にきゝし
宰府の宮の飛梅を
作詞者の大和田建樹は大宰府が気に入ったようで、この後42番から48番まで大宰府を題材に歌詞を書いています。
二日市を発車。空が少し明るくなってきました。
田代駅を通過。コンテナが積まれた鳥栖貨物ターミナルも写真左側に見えています。
鳥栖駅が見えてきました。
鐡道唱歌山陽・九州篇四九
宰府わかれて鳥栖の驛
長崎ゆきのわかれ道
久留米は有馬の舊城下
水天宮もほどちかし
鐡道唱歌の歌詞は、発表された明治33年当時、鹿児島本線の終点であった八代まで続き、そのあと長崎本線に入ります。
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