出雲大社参詣記 5
出雲大社の門前まで歩いてきました
二の鳥居(勢溜の鳥居)(せいだまりのとりい)をくぐって境内に入っていきます
二の鳥居は耐久性の高い特殊な鋼材を用いて平成30年に建立されたそうです
下り坂となっている参道を進んでいきます
そこに境内社がありました
「祓社」です
祓社
浄心沼
「野見宿祢神社」ののぼりが立っています
参道を離れて進んでいってみます
満開の桜が咲いています
土俵がありました
野見宿祢は相撲の神として信仰されています
野見宿祢神社
第13代の出雲国造である襲髄命(かねすねのみこと)と野見宿祢が同一人物だとされています(諸説あり)
また埴輪を発明した人物だとも伝えられています(考古学的には否定されています)
再び参道に戻ります
三の鳥居(松の参道の鳥居)
ここから松の並木が続いています
参道の両側に広がる神苑
令和6年4月上旬の訪問時、桜が満開です
満開の桜の下にウサギの置物が置かれています
因幡の白兎の神話に基づくものですね
オオクニヌシが因幡のヤガミヒメに求婚に行く兄神の荷物持ちとして袋を担いで因幡の開眼を歩いていると、ワニに皮をむかれて泣いているウサギに会いました
オオクニヌシはウサギを救い、このウサギの導きにより因幡のヤガミヒメはオオクニヌシの嫁となりました
・・・と、ここまでは知っている方も多いかと思いますが・・・
この話には続きがあって、
ヤガミヒメをオオクニヌシにとられた兄神は、オオクニヌシを殺害しようとします
オオクニヌシはスサノオが支配する根の国に逃れ、そこでスサノオの娘スセリヒメを見初めて日本に戻ってきます
日本に戻ってきたオオクニヌシは兄神たちを退け日本の支配者となったのでした
神苑の奥にある「縁むすびの碑」
その後なんだかんだありましたが、オオクニヌシとスセリヒメは強い絆で結ばれました
あれ・・・だけど・・・
古事記によると・・・
オオクニヌシはスセリヒメを正妻として迎え入れ、ヤガミヒメは「2号さん」の立場に甘んじなければならないのでした。
しかもスセリヒメはとても嫉妬深く、ヤガミヒメにもつらく当たります。こんな境遇に嫌気がさしたヤガミヒメは、嫌気がさして生まれた子を置いて因幡に帰ってしまったのでした・・・
・・・これが「因幡の白兎」のお話の結末なんです・
さらにオオクニヌシは古志の国(北陸地方)のヌナカワヒメも嫁に迎え入れ、これに嫉妬したスセリヒメは夫のオオクニヌシを攻め立てます。うんざりしたオオクニヌシがほとぼりが冷めるまで大和の国に行こうとすると、これを察したスセリビメが現れ・・・
・・・怒られるかと思いきや、スセリヒメはお酒を差し出し、涙を流しています。この姿に心を打たれたオオクニヌシは、逃亡を思いとどまり、「うきゆひ為て、うながけりて、今に至るまで鎮まり坐す」
で、ここでやっと、めでたしめでたしとなりました。
「二柱の神は、様々な試練をお互いの支えあいで見事に克服されつつ愛を育み深められ、夫婦の契りの盃を交わされて永遠の御縁を結ばれました。この尊い縁結びの御神蹟は、二柱の神がお示しになられた仲睦まじい夫婦の道として、幾世を超えて今の世に語り継がれています。」
しかしこの案内板には、途中がすっ飛ばされて結論しか書いてないんで、何があったのかさっぱりわからない。
世の中には
「白兎の導きで因幡の姫様はオオクニヌシと巡り合い、幸せに暮らしました」
と思い込んでる方も多いのではなかろうか・・・
オオクニヌシは縁結びの神様として知られていますが
ヤガミヒメは逃げるように実家に帰り、スセリヒメは浮気性の夫に振り回され・・・
日本の神様なんて、こんなもんなんです。
神苑から参道に戻り、先に進んでいきます
施設名 | 出雲大社 |
所在地 | 島根県出雲市大社町杵築東195 |
電話 | 0853-53-3100 |
FAX | 0853-53-2515 |
営業時間 | 6:00~19:00 |
定休日 | |
料金 | 境内無料 |
交通 |
☆出雲市駅より一畑バス大社・日御碕線出雲大社バスターミナル下車すぐ |
バリアフリー情報 | 駐車場より境内まで舗装され、段差ほぼ無し。多目的トイレ有り |
駐車場 | 有 |
令和6年4月現在
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