カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

出雲大社 令和6年4月 前編

出雲大社参詣記 7

 

出雲大社に来ています

参道から四の鳥居をくぐり、本宮の方へ入っていきます

 

四の鳥居は「銅鳥居」といい、寛文6年(1666年)、毛利綱広(毛利家16代当主・長州藩2代藩主)が寄進したものだそうです

 

入ったら、なにやら牛と馬の像がありました

 

拝殿の方に進んでいきます

 

出雲大社拝殿

 

拝殿は昭和34年の竣工です

 

拝殿奥の八足門

 

タイル上の朱色の丸い三つの模様は、古代に造られた本殿の柱の位置を表しているそうです

平成12年に発掘されました 

 

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≪発掘当時の本殿柱/宝物館拝観券より≫

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八足門

手を合わせます

 

この奥に本殿がありますが、この先一般の参詣客は入れません

 

 

 

 

境内を奥に進んでいきます

 

筑紫社

 

御祭神はタキリヒメ

宗像三女神のひとりです

大国主との間にアジスキタカヒコネとシタテルヒメが産まれました

 

シタテルヒメ高天原から国譲りの使者として降りてきたワカヒコを婿に迎えました。しかし、これはすなわちワカヒコにとっては高天原への裏切りでした。ワカヒコは高天原からの制裁を受け誅殺されます。

 

ワカヒコの葬儀の場に現れたのがアジスキタカヒコネで、古事記では弔問に来たはずなのに暴れて喪屋を壊して蹴飛ばすという、はた迷惑な神として描かれています。

 

さらに進んでいくと、そこに拝所が作られています

 

筑紫社の奥にオオクニヌシが鎮座される本殿が見えています

 

 

 

オオクニヌシはこちら向きに鎮座されています

 

後方から見る、オオクニヌシが鎮座される本殿

 

神代のころ、高天原のアマテラスは「日本の国は自分のものだ」と宣言し、日本を支配していたオオクニヌシに交渉のための使者を日本に送りました

オオクニヌシはその交換条件として、自分の隠居後の住まいとして壮大な宮殿を作るよう要求しました

 

この要求は受け入れられ、出雲大社が造営されて今もオオクニヌシはここに鎮まっています。

 

施設名 出雲大社
所在地 島根県出雲市大社町杵築東195
電話 0853-53-3100
FAX 0853-53-2515
営業時間 6:00~19:00
定休日  
料金 境内無料
交通

出雲市駅より一畑バス大社・日御碕線出雲大社バスターミナル下車すぐ
一畑電車出雲大社前駅下車徒歩10分

バリアフリー情報 駐車場より境内まで舗装され、段差ほぼ無し。多目的トイレ有り
駐車場

 令和6年6月現在

 

 

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