宗像三女神を訪ねて 3
では、ここからバスで沖津宮遥拝所を目指します。
大島観光バス「グランシマール号」、渡船に接続して10時10分に出発します。
「grand(大)+島+廻る」でグランシマールか・・・
大島観光バスは、西鉄バスと宗像市内に本社を置くみなとタクシーが共同で運行しています。西鉄運行便が「グランシマール号」、みなとタクシー運行便が「みあれ号」と愛称がついています。
乗客はぼく一人だけでした。
バスの後方は車椅子用のリフトになっています。
港から市街地を抜けると、海岸沿いを走り
小さな峠を越えて島の反対側へ
沖津宮揺拝所停留所、西鉄ニモカで運賃300円支払って降車します。
停留所のそばに標識がありました。
坂道を一旦下りて、ふたたび石段を登った所のようです。
宗像大社は本土の辺津宮、大島の中津宮、沖ノ島の沖津宮から成り立っていて、それぞれ宗像三女神が鎮座されています。
宗像三女神とはスサノオとアマテラスのうけい(誓約)で産まれた神様です。
日本神話
スサノオはあまりの乱暴さに父神イザナギから勘当され、姉神アマテラスが統治する高天原に昇って行った。アマテラスは「高天原を乗っ取るつもりに違いない」と身構えた。スサノオはそんなつもりは無いと訴えるが、アマテラスは信じない。
スサノオは「ならばうけいをして互いに子を産んで証明しましょう」と言った。
スサノオは三柱の女神を産み、アマテラスは五柱の男神を産んだ。スサノオは「私の心が清らかだからか弱い女の子が産まれたのだ」と宣言した。
スサノオが産んだ三柱の女神は今、宗像宮に鎮まっている
この後スサノオは本性を現しさんざん暴れてアマテラスは天岩戸に引きこもるのですが、まあその話はいずれ語るとして・・・
宗像三女神は古事記の記述では、沖津宮に鎮座する長女タキリヒメ、中津宮に鎮座する次女イチキシマヒメ、辺津宮に鎮座する三女タキツヒメとなっています。
ただし日本書紀、また日本書紀でも本文と、別伝である一書(あるふみ)では宗像三女神の神名、 出生順、鎮座地が微妙に異なっています。
宗像大社は公式には正書である日本書紀の本文に沿って、沖津宮は長女タコリヒメ、中津宮は次女タギツヒメ、辺津宮は三女イチキシマヒメをそれぞれ祭神としています。
日本書紀のタコリヒメと古事記のタキリヒメは同一神と考えられています。
石段脇の石碑、「澳嶋拜所」と彫ってあります。「おきのしまおがみどころ」とでも読むのでしょうか。
かなり古そうですが、この時点はいつのものか判別できませんでした。
(この後訪ねた大島交流館の展示により西暦1750年のものと判りました。江戸時代中期ですね)
鳥居に拝礼して通ります
沖津宮遥拝所。
沖津宮はここから49km離れた玄界灘に浮かぶ沖ノ島にあります。島全体が神域とされ、一般人は上陸できません。
そのため、この遥拝所が宗像大社沖津宮の実質的な拝殿となっています。
両脇の石灯篭には、正面に「瀛津宮」と彫ってあります。見慣れない文字ですが、日本書紀に収録してある別伝の「一書(あるふみ)」にこの表記が出てきます。
左右には「築前宰相源朝臣齋溥獻?(ちくぜんのさいしょうみなもとのあそんときひろがたてまつる? 漢字・読み方ともに自信ない)」、「慶應三年丁卯八月吉日(けいおうさんねんひのとうはちがつきちじつ」と彫ってあります。
慶応三年は1867年、明治維新の前年です。
社殿の裏側に回ってみました。
晴れて空気が澄んだ日にはここから49km先の沖ノ島が見えるそうですが、今日は曇りがちの天気で島影は見えません。
現在の社殿は昭和8年に建立されたものだそうです。
では、遥拝所を後にします。
バスで来た道を、帰りは歩いて戻ります。
施設名 | 宗像大社 沖津宮遥拝所 |
所在地 | 福岡県宗像市大島 |
電話 |
0940-72-2226(大島観光案内所) |
開園時間 | |
料金 | 拝観料無料 |
交通 |
(大島港にレンタサイクルあり) |
駐車場 | 有 (島内レンタカーあり、080-1764-2103) |
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