九州北部には神功皇后にまつわる伝承地が数多くあります。記紀(古事記・日本書紀)に記載があるものでも香椎宮、宇美八幡宮、鎭懐石八幡宮、玉島神社、等々。
記紀に記載のないものまで含めると、宮地嶽神社からその土地の郷土史研究家しか知らないような小さな石碑まで、大小さまざま残っています。
今日は早朝からクルマ飛ばし、福岡から国道202号を西へ。
先日、2時間近くかけて歩いた、加布里~箱島~きららの湯~鎭懐石八幡宮の道のりを、車だと数分で通り過ぎました。そのまま県境を越えて唐津市浜玉町へ。
玉島川の河畔の万葉垂綸石公園(まんようすいりんせきこうえん)。
神功皇后は朝鮮に進軍した時すでに身ごもっていました。丸い石を腹に当てて産まれそうになるのを鎮め、筑紫に帰還の後、宇美の地で御子を産みました(のちの第15代応神天皇)。
この時、腹を鎮めた石は伊斗村、現在の糸島市におさめました。
神功皇后はこの後、末羅県玉島里(まつらのあがた たましまのさと)に行き、河原で食事をとったそうです。その時、神功皇后は河原の岩に座り、着物の裾をほどいて糸を取り、飯粒をエサにして鮎釣りを始めたそうです。
その時の岩がこの万葉垂綸石公園にあるらしいのです。
(古事記の記述によります。日本書紀では朝鮮出兵との順番が前後し、『出陣する前に戦争の結果を占うために魚釣りをした』ということになっています)
駐車場に車を停め、公園のほうへ。
公園と言ってもそんなに広くはありません。写真に写っている分でほぼ全景です。
あれが垂綸石ですね。
案内板には「記紀によれば・・」とありますが、この案内板の記述は日本書紀のものです。
神功皇后が座って鮎を釣ったという石がこれですね。古事記には岩の名を「カチトヒメ」(勝門比売)という、とも書いてあります。
さて、公園内には、この伝説を題材にした万葉集の歌碑が建立されています。
「 たらし姫 神の尊(みこと)の 魚(な)釣らすと み立たりせりし 石を誰見き」山上億良
『たらし姫』とは神功皇后のことです(神功皇后の名前はオキナガタラシヒメ)
「松浦(まつら)川 玉島の浦に 若鮎(わかゆ)釣る 妹(いも)らを見らん 人の羨(とも)しさ」 大伴旅人
「玉島の この川上に 家はあれど 君を恥(やさ)しみ 顕さずありき」 大伴旅人
ちなみに古事記の完成は西暦712年、日本書紀が720年、万葉集は759年から780年にかけて作られました。
公園から見る玉島川の流れ
では、公園を後にして、交差点の先にある玉島神社に向かいます。
施設名 | 万葉垂綸石公園 |
所在地 | 佐賀県唐津市浜玉町南山2190-1 |
電話 | 0955-72-9250(唐津市都市計画課公園管理係) |
開園時間 | |
料金 | 入場無料 |
交通 | 唐津大手口バスセンター・JR浜崎駅より昭和バス七山線 玉島神社前下車 徒歩1分(本数少ないので注意) |
駐車場 | 有 |
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唐津市観光協会 万葉垂綸石公園