カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

能義の白鳥

能義神社参詣記 3 / 青春18令和3・4年冬紀行 2日目

 

島根県安来市に来ています。

ここからサブタイトルに「青春18令和3・4年冬紀行」が入ります。

 

f:id:karibatakurou:20211225053214j:plain

能義神社を参詣して出てきました。

周囲には広大な農地が広がっています。この肥沃な土地は古代から出雲王朝の繁栄を支えてきたことでしょう。

 

さて、この周辺は白鳥の飛来地としても知られています。

ちょうど今、夏にシベリアで子育てをした白鳥たちが、日本に来て冬を越している季節です。

 

さて、白鳥さんたち、どこにいらっしゃるのかな~~と捜し歩くと、

 

 

f:id:karibatakurou:20211225053516j:plain

お、いたいた。田んぼの中で集団になっています。

 

f:id:karibatakurou:20211225053630j:plain

もっと近くで見れないかな~~と、あぜ道を歩いて近づいていくと・・・

 

f:id:karibatakurou:20211225053806j:plain

一斉に飛び立って逃げ出してしまいました。

 

そりゃそうだよね、野生の動物だもんね。

脅かしてごめんなさい。

 

f:id:karibatakurou:20211225053938j:plain

飛び立っていった白鳥たちは離れた田に降り立ち、ほかの集団と合流して大きな集団になりました。

 

さて、そこから少し歩いていくと

 

 

f:id:karibatakurou:20211225054102j:plain

水が溜まった田があり

 

f:id:karibatakurou:20211225054226j:plain

そこで白鳥たちが泳いでいました。

 

現代の日本の水田は排水設備が整っており、この時期に水を張っているということは、通常はありません。白鳥たちのためにわざわざ水を溜めているんでしょう。

 

f:id:karibatakurou:20211225054355j:plain

ここではある程度近づいても白鳥たちは逃げません。

泥の中までやってきて危害を加える人間などいないと学習しているのでしょう。

白鳥たちは思い思いに「くぅ~ くぅ~」と鳴いては泳ぎ、時々泥の中に首を突っ込んで餌をついばんでいます。

 

泥の中の虫をついばんでいるのか・・と思いましたが、後から調べてみると白鳥は草食性で、水草や藻、稲の落穂などを食べているそうです。

 

 


www.youtube.com

くぅ~ くぅ~と鳴く白鳥たち。

 

さて、しばらくそこにとどまっていましたが、白鳥たちに別れを告げて

 

f:id:karibatakurou:20211225054559j:plain

能義神社停留所まで戻ってきました。

ここから安来市コミュニティバスに乗り

 

f:id:karibatakurou:20211225054644j:plain

安来駅まで戻ってきました。

 

まだ乗る予定の電車の発車まで少し時間があるので、駅前の通りを少し歩いてみました。

 

 

f:id:karibatakurou:20211225054806j:plain

中海に浮かぶ十神山

 

f:id:karibatakurou:20211225054835j:plain

ここでも海鳥が泳いでいました。

 

f:id:karibatakurou:20211225055016j:plain

中海の中に銅像が建立されてります。

出雲国風土記の意宇郡安来郷の項目に紹介されている「語臣猪麻呂の女子」(かたりのおみのいまろのむすめ)の像のようです。娘の本名は出雲国風土記には記載がありません

 

f:id:karibatakurou:20211225054946j:plain

 

出雲国風土記によると、

 

天武天皇の時代の西暦674年、猪麻呂の娘がワニ(サメのこと)に襲われ亡くなりました。父の猪麻呂は悲しみ、憤り、天地の神々に復讐を祈りました。

すると百匹あまりのワニが一匹のワニを取り囲み、猪麻呂の前に現れました。猪麻呂が鉾でそのワニを殺すと、腹から娘の脚が出てきました。

 

f:id:karibatakurou:20211225055136j:plain

 

復讐を果たした猪麻呂は、ワニの死体を串にさして道端にさらしたそうです。

 

娘も父も気の毒だが、ワニもかわいそう。ただ自然界の食物連鎖の流れの中で行動していただけなのにね・・・

 

安来駅の裏手にある毘売塚古墳(ひめづかこふん)は語臣猪麻呂の娘の墓と伝えられています。

 

f:id:karibatakurou:20211225055350j:plain

毘売像の向こうにそびえる十神山(とかみやま)、スサノオなど十柱の神をまつった社があったためその名がついたと伝えられています。

 

今は陸続きになっていますが、かつては島でした。

出雲国風土記には意宇郡の項目に

 

砥神島(とかみしま)は周囲三里一百八十歩(約1.9km)、高さ六十杖(約178.2km)。シイ、マツ、ウスバサイシン、ヨメナツワブキウラジロなどの草木が茂っている。

 

と記述されています。

 

ただ、高さはちょっと盛ってあるようで、十神山の高さは実際には約90mです。

 

f:id:karibatakurou:20211225060353j:plain

 

十神山の入り口までやってきましたが、

 

f:id:karibatakurou:20211225060505j:plain

 

雨が降ってきました。

 

f:id:karibatakurou:20211225060619j:plain

 

 

f:id:karibatakurou:20211225060719j:plain

 

雨も降ってるし、電車の時間もあるので、山には登らず、ここで引き返しました。

 

安来駅に戻ってきました。

 

昨日泊まった「竹葉」でもらった安来市の宿泊キャンペーンのクーポン券が500円分残っています。

これを使って、安来駅構内の「観光交流プラザ」でお土産に「清水羊羹」を購入しました。

 

清水羊羹(きよみずようかん)は安来市清水寺門前で製造されている羊羹で、円仁(慈覚大師)が西暦847年に唐から製法をつたえたとされています。

 

駅員さんに青春18きっぷを提示し、スタンプを押してもらって構内へ。

 

f:id:karibatakurou:20211225065025j:plain

駅ホームの上屋根の柱は古レールの再利用でした。

この柱となっているレールは1902年、すなわち明治35年の製造のようです。

 

昭和40年代くらいまではホームの上屋根や跨線橋古レールが再利用されていました。

現在はこのような再利用はされていません。工場で生産される規格品を使ったほうが効率的で経済的だからでしょうね。

 

f:id:karibatakurou:20211225065146j:plain

そこに入ってきた、11時50分発の西出雲行き鈍行列車。

国鉄115系電車の2両編成。

 

中間車に運転台を設置する改造をしているので、のっぺりした顔つきになっています。

 

 

f:id:karibatakurou:20211225065312j:plain

3扉セミクロスシート国鉄近郊型電車の車内。

 

f:id:karibatakurou:20211225065407j:plain

 

 

f:id:karibatakurou:20211225065500j:plain

雨が降る中、電車は走り、安来から約30分で松江着。

ここでいったん降ります。

 

施設名 能義白鳥飛来地
所在地 島根県安来市能義366
電話 0854-23-3340(安来市商工観光課)
0854-23-7667(安来市観光協会
FAX  
営業時間  
定休日  
料金  
交通 荒島駅安来駅米子駅より安来市コミュニティバス(イエローバス)観光ループ・広瀬‐米子線・広瀬‐荒島線に乗車、能義神社停留所下車徒歩10分(本数少ないので注意)
バリアフリー情報  
 
駐車場

 

 

 

前<<<  能義神社 後編 - カリバ旅行記 (hatenablog.com)

次>>>  山陰本線 快速アクアライナー 松江~江津 令和3年12月 - カリバ旅行記 (hatenablog.com)

 

 

≪姉妹ブログ≫

鉄道唱歌の話
古事記の話


≪ブログ以外の姉妹サイト≫

温泉の話
駅弁の話
古事記ゆかりの地を訪ねて


≪今回使ったきっぷ≫

青春18きっぷ

 

≪参考リンク≫

安来市観光協会 能義平野

島根県観光連盟 十神山