敦賀から下関まで 日本海岸を鉄路で行く 4 / 青春18令和2・3年冬紀行
赤煉瓦倉庫の駐車場、キハ28型気動車が静態保存してあるそばに、何やら展示してあります。
「大正橋に取り付けられた欄干の支柱」 なんだそうです。
・・・ローカルな記念物だな・・・
さて、そこから少し歩くと、
コンテナが積み上げられていました。
敦賀港駅の跡です。かつて、敦賀駅からこの敦賀港駅まで貨物専用の支線が伸びていました。
そもそも北陸本線は、東海道本線からこの敦賀港への連絡を目的として建設されたものでした。
平成21年限りで貨物列車の運行は休止され、平成31年には正式に路線も廃止となりました。
貨物駅としては廃止されましたが、現在もトラックでコンテナの輸送は続けられています。
さて、その敦賀港駅の先のほう
真新しい建物が建っています。
これはかつて、敦賀港駅にあった建物を再現したものだそうです。
ここは「人道の港敦賀ムぜウム」という資料館として運営されています。
この敦賀港に上陸した、ロシア革命後のシベリアで親や子を失ったポーランドの孤児やナチスドイツに迫害されたユダヤ人、などについての資料が展示されているそうです。
ここも水曜日の今日は休館日でした。
敦賀港駅は貨物駅でしたが、明治45年からウラジオストク航路の発着日に限り旅客列車が運行され、シベリア鉄道経由で遠くヨーロッパ各地とも連絡していました。
東京からも米原経由で急行列車が乗り入れていましたが、大東亜戦争の激化とともに消滅しました。
では、また元の道を歩いて戻ります。
雪に埋もれたかつての敦賀港線。
すでに列車が通らなくなった線路にの踏切は柵でふさがれていました。
そして、敦賀駅まで戻ってきました。
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