鉄道唱歌で行く東海道本線 19 / 青春18令和2年春紀行 3日目
熱田神宮に来ています。
雨の中、参道を進んでいきます。
「佐久間燈篭」
寛永7年(1630年)のもので、京都南禅寺・上野東照宮のものと並んで日本三大灯篭なんだそうです。
また鳥居があり
手水舎
しかしここもコロナ対策として水がありません。柄杓の柄からの感染を防ぐためでしょう。
参道の脇に臨時の手水が設置されていました。
竹筒に穴が開いて、そこから水が流れ出ていました。直接水に手を付けて禊します。
「大楠」
弘法大師お手植えとも伝えられ、樹齢1000年以上だそうです。
手水舎の向かい側には熱田神宮の歴史を紹介したパネルがありました。
御祭神「熱田大神」
草薙剣に宿るアマテラスの御魂です。
草薙剣は悠久の昔、まだ神様の時代に現れます。
アマテラスの弟・スサノオは、出雲の斐伊川の上流で人々を苦しめていたヤマタノオロチを退治しました。その時、ヤマタノオロチのしっぽから一本の剣が出てきました。
その剣に神秘的なものを感じたスサノオは、剣を高天原のアマテラスに献上しました。
その後年月が経ち、皇室の先祖でアマテラスの孫であるニニギが日向に降臨するとき、アマテラスはこの剣を鏡・勾玉とともに、天の御子の証としてニニギに持たせました。
さらに時がたち、第12代景行天皇の時代。剣は伊勢神宮にありました。
天皇の御子ヤマトタケルは、天皇の命により、朝廷にまだ服していない部族を征服するために東国に赴きました。
その時、伊勢神宮の巫女のヤマトヒメから剣を授かりました。
ヤマトタケルは駿河の国(古事記では「相武の国」)で、国造(くにのみやつこ、古代の地方長官)の裏切りにより野原の真ん中で周囲に火をつけられ、猛火に囲まれました。
この時、ヤマトタケルは剣で草を薙ぎ払い、これもヤマトヒメから授かった火打石で火をつけて迎え火を起こし、窮地を切り抜けました。
このことから草薙剣と言われるようになりました。今の静岡県焼津での出来事とされています。
その東征の旅の帰り、ヤマトタケルは結婚の約束をしたミヤズヒメのもとを訪れます。
ヤマトタケルは草薙剣をミヤズヒメに預けて伊吹山に登りますが、そこで伊吹山の神の逆鱗に触れて重病に陥り、大和を目指して帰る途中に亡くなりました。
残されたミヤズヒメは一人で草薙剣を守っていましたが、後に自分が老いるに及んで熱田の地に草薙剣を納めました。
これが熱田神宮の始まりと言われます。
ここまでが神話の話で
この先、実際の歴史の解説が始まり、
貴族・武家の時代を経て現在までの熱田神宮の歴史が開設されていますが、長いので割愛させていただきます。
参道を進み
「信長塀」
永禄3年(1560年)、必勝祈願をして桶狭間に出陣し大勝した織田信長がお礼として奉納したそうです。西宮神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀なんだそうな。
塀のそばにある末社
「東八百萬神社」
こちらは「西八百萬神社」
そして、最後の鳥居を抜けます
熱田神宮本宮の境内
正面のご本宮
手を合わせます
広い境内に雨はまだ降り続いています。
052-671-4151
JR熱田駅より徒歩5分
駐車場有
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