出雲の古代史跡を訪ね歩く 5
国分寺ができたころは、この南にある出雲国庁に続く門前町として、栄えていたことでしょう。
今は見たところ、なんの変哲もない農道になっています。
まっすぐ伸びる天平古道を歩いていきます。
このあたりは古代出雲の国の中心地だったのでしょうね。
民家につきあたって天平古道は終わります。
奈良時代はこの先、どうなっていたのだろうか。
そこから田圃の中の道路を、グーグルマップ見ながらしばらく歩いていくと
こんもりと木が茂っていました。
ここが目指してきた「意宇の杜」(おうのもり)です。
国引き神話の主人公、ヤツカミヅオミヅノ。新羅や隠岐、古志(北陸地方)から国を引っ張ってきて出雲国に編入しました。引いてきた地は今の島根半島となりました。
出雲国風土記には
ヤツカミヅオミヅノは「今、国を引き終えた」と言って、支えにしていた杖をつきたてて「おゑ」(おお!よくやった!)と言った。
だからこの地を意宇(おう)という。
意宇の杜は郡家(郡役所)の東北の田の中のある丘である。周囲は八歩(約14m)ほどで、その上には一本の木が茂っている。
と、記載されています。
ヤツカミヅオミヅノが杖をつきたてた「意宇の杜」がここだと云われています。
茂っているのはタブの木だそうです。
意宇の杜を離れて、さらに歩いていきます。
この辺に古代官道の山陰道があるそうだが・・
意宇の杜の少し南側から、まっすぐ西に延びる道。
案内板は何もありませんが、地図と照らし合わせてみたところ、おそらくこれが古代の山陰道で間違いなさそうです。
微妙なクランクカーブの先には
道路が交差しており、その脇に石柱が建っています。
この石柱は出雲国風土記に記載されている地に建てられているものです。
「十字街」(じゅうじのちまた)
出雲国風土記には、国内の道路網を解説してある項目があります。
出雲国の東の国境より西へ二十里一百八十歩(約11km)行くと、飯梨川にかかる野城の橋に至る。そこから西へ二十一里(約11.2km)行くと、国庁や意宇郡家(意宇郡役所)の北にある十字街に至り、そこから二つの道に分かれる。
ひとつはまっすぐ西に進む道であり、ひとつは北に曲がって進む道である。
十字路の正面が「まっすぐ西に進む道」。このまま山陰道をまっすぐ西に進むと国境を越えて石見国に至ります。
写真右に行くと「北に曲がって進む道」。島根郡家(島根郡役所)を経て隠岐島への渡し場である千酌の駅家の浜(ちくみのうまやのはま)に至ります。
写真左に行くとここから真南にある出雲国庁に至ります。
で、十字街から「北に曲がって進む道」に入り、歩いていきます。
昔、この道を、隠岐の島に渡る役人や商人が歩いていたのでしょうか。
このあたりの水田は古代条里制の跡を残しているそうです。
言われてみれば、畔道が微妙に曲がっていたりして、近代の区画整理された圃場とはなんとなしに違う。
そして十字街から続く道は、ここで終わります。
はるか昔はここからさらに隠岐の島に至る道が続いていたのでしょう。
施設名 | 意宇の杜 |
所在地 | 島根県松江市竹矢町494 |
電話 | |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 無料 |
交通 | ☆松江駅より松江市営バスまたは一畑バス荒島線に乗車約15分、武内神社前下車徒歩15分 ☆i松江駅より一畑バス八雲線に乗車約18分、風土記の丘入り口停留所下車徒歩30分 |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 無 |
前<<< 出雲国分寺跡 - カリバ旅行記
次>>> 真名井の滝・真名井神社 - カリバ旅行記 (hatenablog.com)
≪タクロウ作成のサイト≫
鉄道唱歌の話
温泉の話
駅弁の話
古事記の話
古事記ゆかりの地を訪ねて
≪参考リンク≫
ふらっと神社 意宇の杜