山城・大和 古事記の旅 3 / 青春18令和元・2年冬紀行 5日目
三輪駅から歩いて10分少々、 鳥居が見えてきました。志貴御縣坐神社(しきみあがたにますじんじゃ)に続く参道です。
鳥居から続く参道の奥にもう一つ鳥居が見えます。
扁額には「志貴御縣社」と彫ってあります。
ここは第10代崇神天皇が都をおいた師木水垣宮(しきみずかきのみや)の跡だそうです。
(「師木水垣宮」は古事記の表記です。看板の表記「磯城端籬宮」は正史である日本書紀によるものです。)
崇神天皇は実在した日本最初の天皇だそうです。(諸説あります)
先に進み、神社の境内へ。
境内の一角に石碑と案内板
崇神天皇は当時流行していた疫病を、三輪の大神を祀って鎮めました。
また、当時はまだ日本は統一国家ではなく、各地で豪族が覇を争っていました。崇神天皇は各地に軍を派遣し、これらの豪族を自分の支配下に置いていきました。
その過程で越の国に派遣されたオオビコは、山城の幣羅坂まで進軍した時「天皇の命を狙っている者がいる」という神のお告げを受けて引き返し反逆者を討った、という物語が残されています。
手水舎はなく、むき出しの手水鉢にプラ製の柄杓。
拝殿。手を合わせます。
奥の本殿。
これは「磐座(いわくら)」でしょうか。
まだ自然崇拝が残る古代神道においては、社殿というものはなく自然界に存在する岩や木、山など自体が信仰の対象となっていましたが・・
現地に案内板がないのでよくわかりません。
石灯籠やら摂末社やらが並んでおりますが
横には石碑がふたつ
大正元年の「石玉垣改修記念」と、昭和2年の「本殿拝殿竣築記念」、
どちらも「氏子中」と彫ってあります。
昔から地元で大切の管理されてきたんですね。
では、境内を後にします。
神社の横の通りをもう少し先に進んでみます。
この地は「大和青垣国定公園」
かしいだ看板の横を進んでいきます。
道が二手に分かれました。
そして右に行くと「金谷の石仏・海柘榴市」だそうです。
金谷の石仏、というのは地図を見るとそんなに遠くないようなので、行って見ます。
石畳の小径を歩いていくと、5分も立たないうちに
お堂があり
これが「金谷の石仏」だそうで、お堂の中には岩が立てかけられていた。仏様と言われれば、そんな感じ。
では、ここらで三輪駅まで戻ります。
施設名 | 志貴御縣坐神社 |
所在地 | 奈良県桜井市金谷896 |
電話 | |
開園時間 | |
料金 | 境内無料 |
交通 | ☆JR三輪駅より徒歩15分 |
駐車場 | 無 |
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