ヤマトタケルの足跡をたどる 20 / 青春18令和4年夏紀行 3日目
ヤマトタケルは伊吹山で神の怒りにふれて思い熱病にかかり、居醒の清水で体を冷やして息を吹き返しました。
その後、病を押して大和へ向かいますが、当芸野(たぎの)で「わたしの足はたぎたぎしくなってしまった」と嘆き、また杖突坂を杖をつきながらよろよろと登り、尾津前(おつのさき)を経て、三重では「わたしの足は三重に曲がってしまった」と嘆きながらも、なおもヤマトタケルは歩き続けました。
しかし、ついにここ、能褒野の地で、ヤマトタケルは力尽き、薨去されました。
能褒野王塚古墳がヤマトタケルの御陵とされています。
明治28年になり、ヤマトタケルを主祭神として能褒野神社が創建されました。
能褒野神社の参道入り口
「縣社 能褒野神社」の社号標
参道を進んでいきます。
石柱には「日本武尊御墓参道」と彫ってあります。
手水舎
蛇口をひねると出てきた水でん身を清めます。
木立の奥に社殿が見えます。
拝殿
手を合わせます
拝殿の扁額
境内の一角にまた鳥居があります。
末社のようです。
何と彫ってあるんだろう・・
「延喜 式内 那久志里神社」でいいのかな?
鳥居をくぐって奥に行くと、
「山神」と彫られた岩が安置されてました
その横には「水神」と彫られた岩
また別の境内の一角
囲いの中に若木が建っています。
「連理の神」・・・?
「男女の深い契りをたとえて比翼連理の神という。
・・・高さ三米余りの所でお互い手を差し伸べた形で連なっていた・・・」
この若木は全然3mの高さもないが・・
元祖「連理の神」が枯れて、その子種を二世として育てているのだろうか?
そして、写真右に進むとヤマトタケルの御陵、能褒野大塚古墳のようです。
進んでいきます。
施設名 | 能褒野神社 |
所在地 | 三重県亀山市市田村町1409 |
電話 | 0595-85-1533 |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 境内無料 |
交通 | |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 有 |
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