ヤマトタケルの足跡をたどる 19 / 青春18令和4年夏紀行 3日目
乗車駅証明書を取って、電車が来るのを待ちます。
そこに入ってきた桑名行きの電車。
近鉄時代から使われている電車です。
養老鉄道は元は大手私鉄の近畿日本鉄道の路線でしたが、経営悪化のため分離独立させたものです。
ロングシートの車内
雨が降る中、終点の桑名に向かって走っていきます。
やがてJRの関西本線が合流してきて、
下野代から12分、桑名着。
近鉄グループの養老鉄道だけあって、のりかえ案内板には近鉄路線の案内がありますが、JRについては一切言及がありません。
集札で係員に下野代駅の乗車駅証明書と、桑名まで310円の運賃を渡して外に出てきました。
今日使った養老鉄道の運賃は
大垣~養老 420円
養老~美濃山崎 370円
美濃山崎~下野代 310円
下野代~桑名 310円
で、合計1410円でした。
今朝、買おうかどうかと迷った養老鉄道の一日フリー乗車券が1500円なので、それよりも少し安かったことになります。
JRの乗り場のほうへ向かいます。
青春18きっぷを見せて入場。
名古屋から入ってきた、桑名12時28分発の亀山行き快速列車。2両編成の電車です。
四日市までは快速列車で、その先は各駅停車となります。
転換クロスシートの快適な車内です。
雨の中、西へ進んでいきます。
ヤマトタケルは伊吹山で神の怒りにふれて思い熱病にかかり、居醒の清水で体を冷やして息を吹き返しました。
その後、病を押して大和へ向かいますが、当芸野(たぎの)で「わたしの足はたぎたぎしくなってしまった」と嘆き、また杖突坂を杖をつきながらよろよろと登り、尾津前(おつのさき)を経てなおもヤマトタケルは歩いていきます。
「わたしの足は三重に曲がってしまった・・・もう疲れた・・・」
と嘆きました。
このためその地を「三重」というようになり、現在の「三重県」の語源となっています。
四日市を出て、さらに先に進んでいきます。
そして桑名から36分、終点亀山の一つ手前、井田川着13時4分。
ここで降ります。
跨線橋の上から終点の亀山へ向かっていく電車を見送ります。
井田川駅
無人駅で、駅舎内はトイレと待合室しかありません。
駅前には旧東海道が通っています。
駅前広場の一角に、
「大和は国のまほろば
たたなづく青垣
山こもれる 大和し うるわし」
ヤマトタケルがいまわのきわに詠んだ歌です。
歌碑の横には「大和タチバナ記念植樹」と彫られた石柱が立っていますが、それらしき樹は見当たりません。
ヤマトタケルの后のひとり、走水の海で自ら生贄となって死んだオトタチバナヒメは、この地の出身だそうです。
では、井田川駅を後にして、グーグルマップを見ながら歩いていきます。
その道すがら、途中にあった案内板をみながら歩いていき、
見えてきました
この森のようです。
駐車場が見えます。
目指してきたヤマトタケル終焉の地、能褒野です。
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