ヤマトタケルの足跡をたどる 10
三河国二宮です。
ヤマトタケルが東征に行く時、この地において東国平定の成功を祈願しました。
そしてその任を果たし帰ってきた時、奉斎(祈願達成の御礼)のため皇祖の神を祀ってこの地に知立神社を創建したということです。
ヤマトタケルが祀った皇祖の神とは、
の4柱で、この知立神社の御祭神となっています。
多宝塔
神仏習合の名残を残すもので、現在のものは天正6年(1509年)の再建だそうです。
先に進みます
石造りの太鼓橋
通行できません。
享保17年(1732年)のものだそうです。
池の中には魚の彫刻
娘の身代わりになったという片目の魚でしょうか
コンクリート造りの手水舎
ここも柄杓は撤去され、半分に割られた竹の樋からちょろちょろ水が流れ出ています。
その水を手ですくって身を清めます。
拝殿
手を合わせます
奥の本殿
末社の「親母神社」
御祭神はトヨタマヒメ。
海幸彦ことホオリの后であり、タマヨリヒメの姉であり、神武天皇の祖母になります。
「合祀殿」
御祭神は天照皇大神(アマテラス)をはじめ十柱
「小山天神社」
御祭神はスクナビコナです。
こちらは「馬神」
注連縄の向こうに白い馬の像
こちらは「秋葉社」だそうです。
知立公園、というのがありました。
花菖蒲の名所らしいですが、今は花は咲いていません。
その知立公園内に建つ「土御前社」の社号標
知立神社の摂社のようです。
御祭神は吉備武彦。ヤマトタケルの東征に一緒に従軍した参謀です。
越の国(後に越前・越中・越後に分割)の平定をヤマトタケルから任され単独で行動したこともありました。
なお、これは日本書紀によるもので、古事記には吉備武彦は出てきません。
古事記には御鉏友耳建日子(みすきともみみのたけひこ)が東征に従軍してますが、これが吉備武彦と同一人物だとされています。
手を合わせます。
施設名 | 知立神社 |
所在地 | 愛知県知立市西町神田12 |
電話 | 0566-81-0055 |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 境内無料 |
交通 | |
バリアフリー情報 | 駐車場から拝殿前まで段差無し |
駐車場 | 有 |
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