ヤマトタケルの足跡をたどる 21 / 青春18令和4年夏紀行 3日目
三重県桑名市多度町、ヤマトタケルの終焉の地、能褒野に来ています。
ヤマトタケルを祀る能褒野神社に参詣してきました。
ヤマトタケルの御陵である、能褒野王塚古墳のほうへ進んでいきます。
ヤマトタケルは伊吹山で神の怒りにふれて思い熱病にかかり、居醒の清水で体を冷やして息を吹き返しました。
その後、病を押して大和へ向かいますが、当芸野(たぎの)で「わたしの足はたぎたぎしくなってしまった」と嘆き、また杖突坂を杖をつきながらよろよろと登り、尾津前(おつのさき)を経て、三重では「わたしの足は三重に曲がってしまった」と嘆きながらも、なおもヤマトタケルは歩き続けました。
しかし、ついにここ、能褒野の地で、ヤマトタケルは力尽き、薨去されました。
能褒野王塚古墳がヤマトタケルの御陵とされています。
明治28年になり、ヤマトタケルを主祭神として能褒野神社が創建されました。
小径を進んでいきます。
ここから能褒野王塚古墳の拝所に行けるようです。
石段を登っていきます
皇族の陵墓なので宮内庁が管理しています。
ヤマトタケルは第12代景行天皇の皇子ですが、父の景行天皇に疎まれ、都から遠ざけるために熊襲・蝦夷の征伐に出征させられました(古事記による)
柵が閉まっており、ここから先に進めません
ヤマトタケルの御魂は白鳥となってここから飛び立っていったということです。
元の道に戻り、先に進んでいってみます。
道は細くなってきました
柵の向こうに広大な能褒野王塚古墳が広がっています。
ここからいったん、公道に出て
また元の能褒野神社の参道に戻ってきました。
ヤマトタケルの陵墓である能褒野王塚古墳を一周回ってきました。
能褒野王塚古墳の周りに、いろは順に「能褒野墓 飛地〇号」というのがいくつかありました。
能褒野王塚古墳の陪塚でしょうか
境内にあったあずまや
なにやら石碑もいくつか立っていましたが、
能褒野王塚古墳を後にして、元来た道をまた歩いて戻ります。
施設名 | 能褒野神社 |
所在地 | 三重県亀山市市田村町1393 |
電話 | 0595-85-1533(能褒野神社) |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 無料 |
交通 | |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 有 |
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