カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

片町線 京橋~木津

鉄道唱歌で行く伊勢紀行 1 / 青春18令和6年夏紀行 2日目

 

令和6年の7月終わり頃、大坂に来ています

昨日は19時過ぎに職場を退勤し、新幹線で大阪へ移動。日付が変わった0時過ぎに大阪市内のネカフェに入り、4時30分頃まで休んでました

 

そんな次第で、おもいっきり寝不足です・・

 

そしてやってきたのが、京橋駅

ここから「鉄道唱歌で行く伊勢紀行」と称して、伊勢市まで進んでいきたいと思います

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 一

 

滊車をたよりに思ひ立つ

伊勢や大和の國めぐり

網島いでゝ關西の

線路を旅の始にて

 

明治33年出版の鉄道唱歌においては、網島駅が起点となっています

 

網島駅は京橋駅近く、現在の大阪府立東高等学校のあたりにありました。明治31年に私鉄の関西鉄道により開業。網島から現在の片町線関西本線経由で名古屋に至るルートを完成させました。

関西鉄道は網島発着で名古屋まで急行列車を走らせ、関西鉄道の大坂側のターミナルとして機能していました

 

しかしその後、現在の関西本線が名阪間のメインルートとなり、大阪側のターミナルは湊町(現在のJR難波)に移っていき網島駅はその地位を低下させます。

大正2年に城東線(現大阪環状線)と片町線との交差地点に京橋駅が開設されると同時に網島駅は廃止されました

 

なお、関西鉄道明治40年に国有化されています

 

そんなわけで網島駅は現存しませんので、京橋駅片町線の線路を旅のはじめとします

 

なお、JR西日本では乗客案内上、片町線という正式名称は使わず学研都市線という愛称を用いています

 

京橋5時10分発、木津行きの電車に乗り込みます

 

ロングシートの通勤型電車

 

電車は発車し、高層建築の間を走っていきます

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 二

 

造幣局の朝ざくら

櫻の宮の夕すゞみ

なごりを跡に見かへれば

城の天守も霞みゆく

 

夜明の大阪市内を走っていきます

 

放出駅

「はなてんえき」と読みます

 

徳庵駅

 

 

住道駅(すみのどうえき)

 

生駒山脈が見えています

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 三

 

咲くや菜種の放出も

過ぎて徳庵住の道

窓より近き生駒山

手に取る如く聳えたり

 

四条畷駅

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 四 五

 

四條畷に仰ぎみる

楠公の宮どころ

ながれも淸き菊水の

旗風いまも香らせて

 

心の花も櫻井の

父の遺訓を身にしめて

引きは返さぬ武士の

戰死のあとは此土地よ

 

唱歌「桜井の決別」で知られる大楠公こと楠木正成の子で小楠公と称される楠木正行(くすのきまさつら)。正平3年(1348年)、「四条畷の戦い」において北朝方の高師直に敗れ戦死しました。

楠木正行は駅近くの四条畷神社に祀られています

 

 

日が昇ってきました

今日も暑くなりそうです

 

星田駅

 

列車は東に向かって走っていきます

 

 

津田駅

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 六

 

飯盛山をあとにして

星田すぐれば津田の里

倉治の桃の色ふかく

源氏の瀧の音たかし

 

線路は単線になりました

 

片町線生駒山脈の北側をぐるりと迂回して奈良盆地に入っていきます

 

祝園駅’(ほうそのえき)

 

近鉄線が寄ってきて、片町線と並行して走るようになります

 

祝園過ぎると次は終点の木津です

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 七

 

柞の杜と歌によむ

祝園すぎて新木津の

左は京都右は奈良

奈良は歸りに殘さまし

 

新木津駅は木津駅の西側約600mの場所にありました。

明治31年、新木津から東に加茂駅まで進む路線が完成し、大坂(網島)~名古屋間のルートが完成されました

 

その後、現在の関西本線へと名阪間のルートが移り、明治40年に新木津~加茂間の路線は廃止され、新木津駅も廃止されています

 

終点の木津駅、6時12分着

 

木津駅

 

鐵道唱歌 關西 參宮 南海各線 八

 

京都の道に名を得たる

驛は玉水宇治木

佐々木四郎の先陣に

知られし川も渡るなり

 

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