陸奥国を行く 29
常設展の中に、博物館のそばにある多賀城をテーマにした展示コーナーが設けられています
手前は多賀城からの出土物、
奥は胆沢城からの出土物、奥左に展示されているのは「漆紙文書」です
「漆紙文書」
漆の容器の蓋紙として使用された廃棄紙です
しみ込んだ漆により保存性が高くなって、高温多湿の日本でもそのまま遺跡から発見され、古代の文書が残存する貴重な文字資料であるそうです
昭和48年に多賀城で初めて発見されました
昨日見学した、郡山官衙遺跡ですね
多賀城以前の福島・宮城以北の陸奥国は蝦夷の勢力範囲と考えられてきましたが、遺跡の発掘により8世紀初頭には宮城県北部まで律令体制に組み込まれていたことが明らかになったそうです
東北地方の古代城と遺跡
奥は秋田城からの出土物
手前は郡山遺跡からの出土物
多賀城碑
多賀城難問を入ってすぐ東側にある高さ2mの石碑
多賀城の造営や修復について知ることができる貴重な資料だそうです
多賀城碑の模型
多賀城の模型
で、この模型の手前に押しボタンがありました
そのボタンを押すと、音声が流れ出し、
赤い光が模型の周囲を照らして・・
なにやら不穏な音が響き、炎をイメージした映像が流れ出しました
これは伊治砦麻呂の乱(これはりのあざまろのらん)を解説したパフォーマンスのようです
伊治砦麻呂は蝦夷の族長ですが、大和朝廷に協力し官位も与えられていました。
当時、朝廷の蝦夷対策は必ずしも武力で制圧していたわけではなく、基本は懐柔しながら朝廷の支配下に取り込む政策を行っておりました。伊治砦麻呂も朝廷側に取り込まれた蝦夷の族長で、朝廷の蝦夷政策に協力していました。
しかし西暦780年、伊治砦麻呂は朝廷に反旗を翻します。この反乱で多賀城は焼かれて灰燼に帰しました
この後は蝦夷たちも一斉に離反し戦乱の世が続くことになります
西暦802年、征夷大将軍の坂上田村麻呂によって蝦夷は平定されました
蝦夷(えみし)とは東北地方に居住していた朝廷に従わない人々のことで、中世以降の蝦夷(えぞ)=アイヌとは異なります
蝦夷(えみし)は未開な民族という侮蔑的な意味を込めたものですが、その暮らしは日本の他地域の人々と同じく竪穴住居に居住し、土器を使い、鉄製の農具で農業を行っていたそうです
土器や生活用具ですね
「戦いの道具」
朝廷と蝦夷が争った時の武具ですね
施設名 | 東北歴史博物館 |
所在地 | 宮城県多賀城市高崎1-33-1 |
電話 | 022-368-0106 |
FAX | 022-368-0103 |
営業時間 | 9:30~17:00(入館は16時30分まで) |
定休日 | 月曜日(祝日の場合はその翌平日)、年末年始 |
料金 | 460円(特別展は別料金) |
交通 | JR国府多賀城駅下車すぐ |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 有 |
令和5年7月現在
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