陸奥国を行く 15
時刻は早朝5時過ぎ、夏の朝日が照らす仙台駅までやってきました
そこにあおば通から入ってきた、5時18分発石巻行きの鈍行列車に乗り込みます
4扉ロングシートの通勤型の電車
この早朝から多くの乗客が乗っています
歓楽街からの朝帰りの客も多いようです
しばらく地下線を電車は走ります
ほどなく地上に出てきました
朝日が照らす七北田川を渡ります
かつて兵庫県に高砂駅があって、その区別のために旧国名を冠したものです
ここは律令制では「陸奥」(むつ)ですが、その範囲が広すぎたせいでしょうか、明治元年に「磐城・陸前・陸中・陸後・陸奥(りくおう)」の5国に分割されました。
しかし当時、律令制は形骸化して地方行政は大名・旗本による封建体制となっており、その後すぐ版籍奉還・廃藩置県も行われました。このため、この分割は行政的にはあまり意味がありませんでした。
しかしこうして駅名、また地方名などによく使われ、なじみ深いものとなっています
明治になって制定された陸奥の影響から、今では陸奥というと「青森県」というイメージが強くなっています
この場合、読みは本来「りくおう」ですが、旧来の慣習で「むつ」と呼ばれることが多く、
駅名も「陸奥横浜」(大湊線)は「むつよこはま」、「陸奥市川」(青い森鉄道、旧東北本線)は「むついちかわ」、等々例外なく「むつ」と読んでいます
陽が高く昇ってきました
今は令和5年7月、今日も超絶な猛暑となりそうです
そうこうしているうちに、仙台から約30分、5時47分に本塩釜着
ここで降ります
陸奥国一宮である鹽竈神社に参詣するためにここまでやってきました
終点の石巻に向かって走っていく電車を見送ります
東北本線の建設に当たって塩釜港に資材が荷揚げされました。このため東北本線の開通に先立ち、明治20年に塩竈~上野間が開通しました(東北本線の全通は明治24年)
東北本線の青森方面への延伸は途中の岩切から分岐して進められ、岩切~塩竈間は支線の塩竈線となりました。後に旅客営業を廃止し貨物線となり、塩竈駅は塩釜港駅と改称されましたが、平成9年に廃線となっています
仙石線は宮城電気鉄道が建設し大正15年に本塩釜駅が開業しました。宮城電気鉄道は昭和19年に戦時買収により国有化されています。
その塩釜港は明治15年より整備が始められ明治18年に完成しました。当時の人々は「開港場」と読んだそうです
駅前に立つ大灯篭
では、鹽竈神社のほうへ向かって歩いていきます
この通りを「塩竃海道」というそうです
ここは塩竈神社の東参道前
でも、参道の方へは行かずに、
反対側へ曲がって進んでいきます
前<<< ホテルメイフラワー仙台 - カリバ旅行記 (hatenablog.com)
次>>> 御釜神社 - カリバ旅行記 (hatenablog.com)
≪姉妹ブログ≫
鉄道唱歌の話
古事記の話
≪拙ブログをテーマ別にまとめたサイト≫
温泉の話
駅弁の話
記紀ゆかりの地を訪ねて
小説古事記
古代史探訪