大寧時 境内墓所群・大内義隆主従の墓所

美祢線小野田線を行く 4 / 青春18令和3年春紀行 最終日

 

f:id:karibatakurou:20210419070418j:plain

大寧寺の境内を歩いていきます。

 

 

f:id:karibatakurou:20210419071645j:plain

 すると、何やらたくさんの石塔が並んでいました。

 

f:id:karibatakurou:20210419071816j:plain

 

 

f:id:karibatakurou:20210419071943j:plain

 

 

f:id:karibatakurou:20210419072117j:plain

 江戸時代のお墓が並んでいるそうです。

 

f:id:karibatakurou:20210419072346j:plain

 これは1803年に亡くなられた斉藤栄吉さんのお墓

 

f:id:karibatakurou:20210419072556j:plain

 1843年に亡くなられた八木甚右衛門さんのお墓ですね

 

こんな感じでお墓がいっぱい並んでいました。

よくもこんな昔のものが残っていたものですね。それも埋葬者一人一人の名前までわかっているなんて。

 

f:id:karibatakurou:20210419072725j:plain

そんなお墓の横にある石畳の坂道を登っていきます。 

 

f:id:karibatakurou:20210419073816j:plain

 「大内義隆主従の墓」

 

山口を拠点に覇権を握り、最後には家臣であった陶隆房に謀反を起こされ、この大寧寺で自害した、戦国大名大内義隆の墓もあるようです。

 

f:id:karibatakurou:20210419074026j:plain

 これは「経藏跡」だそうです。

 

f:id:karibatakurou:20210419074326j:plain

 ・・・さすが、戦国時代・・・

 

f:id:karibatakurou:20210419074706j:plain

 

f:id:karibatakurou:20210419074853j:plain

 石畳の坂道を登っていきます。

 

f:id:karibatakurou:20210419075003j:plain

 赤い衣をかぶった仏像がいくつも並んでいます。

 

f:id:karibatakurou:20210419080240j:plain

 登っていくと、木立の間に見えてきました。

 

f:id:karibatakurou:20210419080416j:plain

 ここのようです

大内義隆主従の墓」

 

 

f:id:karibatakurou:20210419080542j:plain

 天文20年(1551年)、大内義隆大寧寺で自害して亡くなりました。

 

f:id:karibatakurou:20210419082458j:plain

 静まり返った空間に墓標が並んでいます。

 

f:id:karibatakurou:20210419081418j:plain

 こちらも埋葬者の名前がすべてわかっているようです。

 

f:id:karibatakurou:20210419081734j:plain

 ここが大内義隆のお墓のようです。

 

 

f:id:karibatakurou:20210419081934j:plain

 左側が大内義隆の墓、右は義隆の子で陶隆房の兵に捕らえられ、7歳で殺された大内義尊の墓だそうです。

殺された場所は俵山温泉の、現在の麻羅観音の場所だともいいます。

 

手を合わせます。

 

f:id:karibatakurou:20210419082033j:plain

 

 

f:id:karibatakurou:20210419082143j:plain

  苔むした大内氏家臣のお墓が並んでいます。

  静かな木立の間から朝の陽が差して墓標を照らしていました。

 

 

 大寧寺
山口県長門市深川湯本門前1074‐1
0837‐25‐3469
長門湯本駅から徒歩15分
下関駅長門市駅からサンデン交通バス俵山・長門仙崎線に乗車、大寧寺停留所下車すぐ
駐車場・有

 

前<<<  大寧時 本堂 - カリバ旅行記

次>>>  大寧時 豊川稲荷 - カリバ旅行記

 

 

 ≪タクロウ作成のサイト≫

鉄道唱歌の話
温泉の話
駅弁の話
古事記の話
古事記ゆかりの地を訪ねて


≪参考リンク≫

大寧寺