美祢線と小野田線を行く 4 / 青春18令和3年春紀行 最終日
大寧寺の境内を歩いていきます。
すると、何やらたくさんの石塔が並んでいました。
江戸時代のお墓が並んでいるそうです。
これは1803年に亡くなられた斉藤栄吉さんのお墓
1843年に亡くなられた八木甚右衛門さんのお墓ですね
こんな感じでお墓がいっぱい並んでいました。
よくもこんな昔のものが残っていたものですね。それも埋葬者一人一人の名前までわかっているなんて。
そんなお墓の横にある石畳の坂道を登っていきます。
「大内義隆主従の墓」
山口を拠点に覇権を握り、最後には家臣であった陶隆房に謀反を起こされ、この大寧寺で自害した、戦国大名の大内義隆の墓もあるようです。
これは「経藏跡」だそうです。
・・・さすが、戦国時代・・・
石畳の坂道を登っていきます。
赤い衣をかぶった仏像がいくつも並んでいます。
登っていくと、木立の間に見えてきました。
ここのようです
「大内義隆主従の墓」
天文20年(1551年)、大内義隆は大寧寺で自害して亡くなりました。
静まり返った空間に墓標が並んでいます。
こちらも埋葬者の名前がすべてわかっているようです。
ここが大内義隆のお墓のようです。
左側が大内義隆の墓、右は義隆の子で陶隆房の兵に捕らえられ、7歳で殺された大内義尊の墓だそうです。
殺された場所は俵山温泉の、現在の麻羅観音の場所だともいいます。
手を合わせます。
苔むした大内氏家臣のお墓が並んでいます。
静かな木立の間から朝の陽が差して墓標を照らしていました。
大寧寺
山口県長門市深川湯本門前1074‐1
0837‐25‐3469
長門湯本駅から徒歩15分
下関駅・長門市駅からサンデン交通バス俵山・長門・仙崎線に乗車、大寧寺停留所下車すぐ
駐車場・有
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