会津路を行く 4
何やら大きな木が屋根をかけられて横たわっています。
第10代崇神天皇の御代、まだ日本は統一国家にはなっていませんでした。
天皇は朝廷に従わない部族を平定するため、各地に軍を派遣しました。
このうち、オオビコの率いる軍は越の国(越前・越中・越後)のほうに進軍しました。また、オオビコの息子であるタケヌナカワの軍は、東海道を東に進軍していました。
そして両軍はこの地で落ち会いました。
そのため、この地を「会津」というようになりました。
再会した父のオオビコと子のタケヌナカワの両将軍は、この地で日本創世の神であるイザナギ・イザナミを祀り、国家鎮護を祈願しました。
これが伊佐須美神社の創始と言われています。
鳥居をくぐり、奥へ。
右手は宝物館のようですが、除雪した雪が山のようにたまって、玄関前だけわずかに歩けるようになっています。
なお、今流行している疫病のため、入館は予約制だそうです。
左側には摂末社の菅原神社
天神様の菅原道真公を祀ってあります。
塀には絵馬がいっぱいかかっており、奥に小さな殿社
神牛
菅原道真公の没後、遺体を乗せた牛車は、大宰府のはずれで止まり動かなくなりました。これが菅公の思し召しであろうと、その場に葬りました。その地が現在の太宰府天満宮の本殿です。
その帰り道、車を引いていた牛も倒れ、息を引き取ったということです。
案内板には「菅原道真公の御使」としか記してありませんね。
参道に戻り、進んでいきます。
すると右手のほうから声をかけられ、お守りの購入を勧められた。
白衣を着ていたので神社の職員だと思うが、神社のほうからお守りをすすめられたのはここが初めてだ・・・
丁重にお断りしたが、なんとも商魂たくましい神社だな・・・
皇族の方でさえもここで馬から降りなければなりません。
手水舎
コロナ対策でしょう、ひしゃくは撤去されて、竹筒が渡されて水を直接受けることができるようにされています。
神門の手前にも末社があるようです。
上屋根とビニールシートに守られた小さな祠が 「道主命神社」のようです。
では、神門へ
神門の左右を神様が守っています。
神門の内側に入りました
正面の社殿
平成20年に火災があり主要な社殿が焼失、現在(令和3年3月)は仮社殿で祀られているそうです。
手を合わせます
社殿の裏にあるこの土台は本殿跡でしょうか。
他にも境内には火災で焼失したと思われる建物の土台がいくつか見られます。
伊佐須美神社
福島県会津美里町宮林甲4377
0242-54-5050
JR会津若松駅前の若松バスターミナルから会津バス永井野行きに乗車、横町下車徒歩5分
JR只見線会津高田駅より徒歩25分(本数少ないので注意)
駐車場・有
前<<< 会津乗合自動車 若松バスターミナル~横町 - カリバ旅行記
次>>> 伊佐須美神社 中編 - カリバ旅行記
≪古事記の話≫
≪タクロウ作成のサイト≫
鉄道唱歌の話
温泉の話
駅弁の話
古事記の話
古事記ゆかりの地を訪ねて
≪参考リンク≫
伊佐須美神社