太宰府駅まで戻ってきました。
でも、電車には乗らずに
駅前の通りをそのまま歩いていきます。
ここから観世音寺を目指します。
その途中にあった「神牛塚」
菅原道真公の没後、遺体を乗せた牛車は、太宰府のはずれで止まり動かなくなりました。これが菅公の思し召しであろうと、その場に葬りました。その地が現在の太宰府天満宮の本殿です。
その帰り道、車を引いていた牛がこの場所で倒れ、息を引き取ったということです。
さらに先に歩いていきます。
そしてつきました、観世音寺
参道を奥に進んでいきます。
観世音寺は大宰府の庇護のもと九州中の寺院の中心となり「府の大寺」と呼ばれた。
天智天皇が母の菩提を弔うためにこの地に観世音寺の建立を発願した、のだそうです。
正面の講堂
向かって左手の金堂
講堂と金堂は江戸時代の再建で、県指定の文化財だそうです。
向かって右手にある、五重塔の跡
梵鐘
7世紀に鋳造された日本最古の梵鐘だそうです。
菅原道真は漢詩に「都府楼はわずかに瓦のいろをみ、観音寺はただ鐘声を聴くのみ」と詠んだそうです。
裏手に回ってみました。
そこにあったのは「僧房跡」、つまりお坊さんの宿舎ですね。
今は時折観光客が訪れる静かな境内ですが、かつてはたくさんの僧が詰めていてにぎわっていたんですね。
境内の周りをぐるりと回廊が囲んでいて壮大な作りだったそうです。
そこから細い道路を挟んだ向かい側
「僧正玄昉の墓」だそうです。
玄昉さんがどんなお坊さんが知らないが、道真公と同じように中央から観世音寺に左遷されてきたそうです。
092-922-1811
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≪参考リンク≫
太宰府観光協会 観世音寺