印鑰神社を出て、歩いてきました。
肥前国分尼寺跡
天平13年(741年)、聖武天皇は仏教による国家鎮護のため、全国に国分寺・国分尼寺の建立を命じました。
明治時代まではここに国分尼寺が残っていたんですね。
今は面影もありませんが、はるかな古代の昔、ここに国分尼寺の壮大な伽藍が広がっていたのですね。
「二十三夜尊」
二十三夜とは「下弦の月」をさしますが、
特定の月齢に「講中」と言われる仲間が集まって飲食して読経するという民間信仰に基づくもののようです。
もちろん、国分尼寺の時代にはそのようなものはなく、近世の信仰です。
奥のほうは、民家の駐車場のようでした。
道路わきには何やら石碑か石仏か、いろいろ立っています。
国分尼寺跡を出て、少し先のほうに歩いていき、
国分寺跡が見えてきました。
案内板によると、この辺りが講堂跡のようです。
当時をしのばせるようなものは何一つありません。
奥にはポツンとお墓のようなものと、トタンづくりの祠
トタンの祠の中には、なにやら石碑が祀られていました。
なんか、いろんな石碑のようなものやら・・・
不動明王がにらんでいたり・・・
なんか、不思議な空間でした。
国分寺の痕跡は何一つありませんが・・・
道路を挟んだ向かい側
先の案内板によるとこの辺りに金堂があったようですが、こちらももちろん当時の痕跡などは何一つありません。
施設名 | 肥前国分尼寺跡/肥前国分寺跡 |
所在地 | 佐賀県佐賀市大和町尼寺373-1(国分尼寺跡) 佐賀県佐賀市大和町尼寺963(国分寺跡) |
電話 | |
FAX | |
営業時間 | |
定休日 | |
料金 | 無料 |
交通 | ☆佐賀駅バスセンターより昭和バス金立線に乗車、尼寺東下車徒歩10分 ☆天神バスターミナルより佐賀行き高速バス「わかくす号」に乗車、高志館高校前下車、徒歩15分 |
バリアフリー情報 | |
駐車場 | 無 |
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