太宰府天満宮 令和2年3月 後編

太宰府天満宮に来ています。

 

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 裏手には末社が並んでいます。

 

中には野見宿祢(のみのすくね)を祀ったものもあります。

野見宿祢は菅原氏の先祖とされています。

 

 

第11代垂仁天皇の御代、天皇の御前で当麻蹴速(たいまのけはや)と相撲を取って勝利し、そのまま天皇に仕えるようになりました。相撲の祖とされています。

有力者が死ぬと近習の者も一緒に生き埋めにする殉葬をやめさせ、生きた人間の代わりに埴輪を立てることを考案した人物としても知られています。

 

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 一段高いところにも末社が並んでますが、

そこに登る階段の横

 

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 「梅の種 納め処」

 

梅の種の中には天神様が宿ると昔から伝えられてきたそうです。

 

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 一段高いところに並ぶ末社

 

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 「相輪トウ」

 

案内板にはトウの字が『木篇に堂』の字が書いてありましたが、この字ワープロで見つけきれませんでした。

伝教大師により伝えられた仏塔の形式だそうです。

 

 

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「厄晴れひょうたん」

古来より不思議な霊力がこもるとされる「ひょうたん」の中に「厄除け」や「願い事」を記念した用紙を入れ、除災招福を祈る・・・ものだそうです。 

 

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 いろんな石碑が並んでますが

 

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 この奥、お石茶屋があり、天開稲荷に続いています。

お石茶屋の隣のお石トンネルを抜けると、竈門神社に至ります。

 

でも、今日はそこまで行かずに、ここで引き返します。

 

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「 夫婦楠」

 夫婦が寄り添って立つ姿に見えるのでこの名がついた。樹千年から千五百と推定される、だそうです。

 

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裏手から見る太宰府天満宮の本殿

 

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 「曲水の宴」の観覧席、

3月第一日曜日に行われています。解体工事が行われているようです。

 

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 九州国立博物館の入り口

ただし現在(訪問時)、例の新型コロナのため休館となっています。

 

 

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 そばの梅園に咲いている梅。

 

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 こちらもコロナのため休園です。

 

 

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山の上から見下ろします。

ここで「曲水の宴」が開かれていたんでしょうね。 

 

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 天満宮入口、案内所の奥にある「浮殿」

 

では、太宰府天満宮の境内を出て、駅のほうに歩いて戻ります。

 

太宰府天満宮

 太宰府市宰府4-7-1

092-933-8225

 

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