カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

清水井

神話と古跡を訪ねて 5

 

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赤猪岩神社から古道を通って、人里まで降りてきました。

 

 

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 アスファルト舗装の里道を進むと

 

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 この辻を曲がると、目指す清水井のようです。

 

 

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 先に進みますと

 

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 清水井につきました。

 

オオクニヌシと改名する前のオオナムヂ、因幡の白兎の導きによりヤガミヒメと結ばれました。しかしヤガミヒメに降られた異母兄たちは、その怒りをオオナムヂに向けます。

異母兄たちは伯耆の手間山にオオナムヂを誘い出します。異母兄たちは真っ赤に焼いた大岩を山から転がり落とし、オオナムヂに「赤い猪を捕まえろ」と命じました。素直なオオナムヂは異母兄の策略を疑うことなく大岩を正面から受け止め、死んでしまいます。

先ほどお参り押した赤猪岩神社がその地だと言われています。

 

 

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日本神話

 

オオナムヂの死を知った母神のサシクニワカヒメ、嘆き悲しみんだ。意を決して高天原に昇り、カミムスビの神に訴えた。

「オオナムヂはこんな無残に殺されるような子ではありません、どうか助けてください」と。

 

哀れに思ったカミムスビは、赤貝の女神サキガイヒメと、蛤の女神ウムガイヒメを地上に遣わした。

二人の女神は、自らの貝殻で作った秘薬をオオナムヂの体に塗り、そしてオオナムヂは生き返った。

 

この時、キサガイヒメとウムガイヒメが薬を溶くために使った水が、ここ清水井の水だそうです。

この後オオナムヂは異母兄から逃れるために母神の勧めで木の国(紀伊)へ、さらにそこから根の国に行きスサノオのもとに身を寄せます。そこでスサノオの試練を受け、帰ってきたオオナムヂはオオクニヌシと名を改め異母兄たちを攻め伏せ、日本の支配者となりました。

 

 

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 石段の下に降りてみますと

 

 

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 澄んだ水が湧き出していました。

キサガイヒメとウムガイヒメはこの水で、自らの貝殻の粉を溶いて薬を作ったのですね。

 

柄杓ですくって一口いただいてみました。やわらかい清水でした。

 

では、清水井を後にして

 

 

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 清水川神社、という案内板があり、そちらのほうに行って見ます。

 

ため池の横を過ぎ、森の中に入ると

 

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 切り立った石垣、その上に神社の鳥居。ここが清水川神社ですね。

 

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拝殿

 

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境内にあった石碑

大国主命蘇生復活の地」と彫ってあります。平成26年に建立されたもののようです。

 

赤猪岩神社の石碑が「御遭難地」でした。遭難したオオクニヌシが復活したのがこの地ということですね。

 

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 拝殿の壁には由緒書きと、二枚の絵画

 

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 江戸時代の宝永6年(1709年)に創建された、この地の氏神様のようです。

 

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 そして2枚の絵、いずれも重傷を負って死んだオオクニヌシを救う、ふたりの貝の女神ですね。

 

上の現代的な絵は初めて見たな。

下の油絵は、古事記をテーマにした一般向けの解説書にはよく載っている。誰のいつ頃の作品かは知らないが・・

 

では、清水川神社を後にして、もと来た道を戻り、清水井の横を再び通って

 

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 再び人里に出てきました

 

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 では、再び日ノ丸バスの停留所まで歩き、バスに乗って米子駅まで戻ります。

 

 

清水井

鳥取県西伯郡南部町清水川230

電話0859-30-4822(南部町観光協会

米子駅(駅前7番バス乗り場)から日ノ丸自動車法勝寺線に乗車、つくし保育園前下車徒歩20分

または上阿賀で乗り換え、南部町ふれあいバスとっとり花回廊線(下り)・循環線(時計回り)に乗車し清水川下車(本数少ないので注意)

日ノ丸自動車御内谷線に乗車、手間で乗り換え、南部町ふれあいバスとっとり花回廊線(上り)・循環線(反時計回り)に乗車し清水川下車もできるが、御内谷線・南部町ふれあいバスともに本数少ない。

 

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≪参考リンク≫

清水井 南部町観光協会