出雲神話の伝承地を訪ねて 11 /青春18平成30・31年冬紀行 5日目
出雲ワイナリーを去ること、歩いて10分少々
この奥、浜寺公園北口駅です。
それと分かってなきゃ、ここが駅だなんて気づかないでしょうね。
ホーム一本だけの無人駅です。
そこに入ってきた電車、なんとも古風な電車です。13時53分発の松江しんじ湖温泉行。
車内。大型の片開き三扉、ブルーのロングシート。
昭和時代後期は優等車(グリーン車)がワインレッド、普通車がブルーのシートというのが定番でした。
車端部の銘板を見ますと、車両番号は2111、昭和43年の製造です。ちょうど50歳、ぼくと同年代の車両だ。
ぼくは人間だからいいが、鉄道車両の50年といえばもはや後期高齢者です。
調べてみると、元は京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)の5000系電車。
高度経済成長期の東京首都圏で、異常なほどに増大した通勤需要をさばくために大量製造された、当時最新鋭の電車のようです。
電車は出雲の田圃の中を走り、川跡着。
ここで電鉄出雲市行きに乗り換えます。
乗り換えの電鉄出雲市行き、えらい派手な塗装ですね。
ロングシートの車内。
車両番号は「1103」、この車両の履歴が掲示してありました。
昭和末期から平成初期にかけて東京急行電鉄で導入された車両ですね。
冬枯れの田圃の中を走ったかと思うと、いつの間にかJR山陰本線と並走します。
電鉄出雲市着。
「一畑電車」というのは通称名ではなく、正式社名です。平成18年、一畑電気鉄道から名称変更しましたが、電鉄出雲市駅はいまも「電鉄」を冠しています。 (正確には一畑電気鉄道は今も持ち株会社として存続していて、一畑電車は鉄道部門を分社化した、ということのようです)
出雲市14時48分発米子行き。益田駅からはるばる快速「アクアライナー」として走ってきて、出雲市からは各駅停車となります。
車内。片開き2扉セミクロス。JR西日本キハ126の2両編成。
斐伊川を渡ります。
この川に流れてきた箸を見てスサノオは上流に上り、ヤマタノオロチを退治しました。ヤマタノオロチの血で斐伊川は真っ赤に染まったそうな。
荘原駅まで戻ってきました。
やがて列車は宍道湖に沿って走ります。
松江の町が見えてきました。松江着15時39分、列車はすぐ発車します。
松江をすぎると、宍道湖と中の海をつなぐ大橋川に沿って進みます。
大橋川に浮かぶ塩楯島。島の中の手間天神社はスクナビコナを祀ってあるそうです。
スクナビコナは造化三神カミムスビの子で、あまりに小さいため「手の間」からこぼれおちました。オオクニヌシと一緒に日本の国造営をした神様です。
東松江駅。
駅裏にはコンテナが積み上げられてますが、ここに貨物列車は入っては来ません。コンテナはトラックで運ばれてきてます。
荒島着、16時3分。ここで降ります。
荒島駅。ここからバスで「さぎの湯温泉」へ向かいます。
駅舎にはこんなのがあり、バスの発車まで時間あるのでここで休ませていただきました。暖房は入ってませんでしたが、寒風の中待つことなくありがたかったです。
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