早朝に仙台を出発し、常磐線の鈍行列車を乗り継いで竜ヶ崎市までやってきました。
11時51分についた竜ヶ崎市でいったん下車し
12時13分発の品川行き鈍行列車に再び乗り込みます
グリーン車の二階席へ
グリーン券は竜ヶ崎市駅の自動券売機で上野まで購入しておきました
なぜわざわざ竜ヶ崎市で降りてグリーン券を購入したかというと、竜ケ崎~上野間は47.7km、土浦から乗ると66.0km
グリーン料金は50キロまで780円、51キロ以上は1000円となるから・・
わずか220円のためにわざわざ列車を降りて一本遅らすあたり、グリーン車に乗っても貧乏人の癖は抜けないなあ・・・
小見川を渡っていきます
ここまでは交流電化で、取手から先は直流電化となります
利根川を渡ります
雲井の空に耳二つ
立てたる駒の如くにて
みゆる高嶺は男體と
女體そびゆる筑波山
峰にのぼれば地圖一つ
ひろげし如く見えわたる
常陸の國のこゝかしこ
利根のながれの末までも
松戶をおりて國府の臺
ゆけば一里に足らぬ道
眞間の手兒名が跡といふ
寺も入江ものこるなり
江戸川を渡ります
都心に近づき、線路が何本も並行して走るようになってきました
中川を渡り、
亀有駅を通過
荒川を渡ります
今度は隅田川を渡ります
千住大橋が見えています
南千住を降りてしばらく行くと、
三河島につきます
昭和37年に駅構内で列車が衝突・脱線して160人死亡、269人が負傷する大惨事となった「三河島事故」で知られていますが、
この三河島から先、鉄道唱歌の時代(明治33年に初版が出版)は現在とは別の経路をたどって東京都心へ向かっていました
現在、三河島を出た上り列車は、大きく左にカーブして日暮里駅で東北本線に合流し上野・東京方面へ向かいます。
しかし当時は三河島付近をまっすぐ進み、田端駅で東北本線の下り方面へ合流してました。
これは常磐線の建設目的が元々は常磐炭田から産出する石炭の輸送だったからで、貨物列車は田端から現在の山手線を通って東海道本線へと運ばれていました。
当時、上野発着の常磐線旅客列車は、田端でスイッチバックしていたそうです。
しかしこれでは不便なので、明治38年に現在の路線が開通し、同時に三河島駅が開業しました
田端へ向かう線路が分かれていきます
鉄道唱歌が出版された当時の線路は今も貨物線となって残っています
やがて東北本線が見えてきて、
日暮里駅に停まります
日暮里を出ると、
上野駅、13時0分着
ここで降りて、
品川まで走っていく列車を見送ります
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