カリバ旅行記

狩場宅郎のカリバ旅行記。温泉、鉄道、路線バスなど。

常磐線(田端貨物線)

鉄道唱歌で行く常磐線 7 / 青春19令和5年夏紀行 初日

 

仙台を早朝に出て、常磐線の鈍行列車で上野まで上ってきました

上野からは、降りてすぐに常磐線の下り列車に乗って折り返し、

 

三河島まで戻ってきました

 

土浦まで走っていく、401系復刻ラッピングの電車を見送ります

 

三河島駅

 

線路に沿って歩いていきます

三河島からは、日暮里へ向かう常磐線の本線と、田端へ向かう貨物線に分かれます

 

しばらく歩くと、本線は高架線のまま続いていますが、貨物線は地上に降りてきました

 

常磐線三河島から先、東京都心方面へは、鉄道唱歌の時代(明治33年に初版が出版)は現在とは別の経路をたどっていました

(ただし三河島駅鉄道唱歌の出版時には未開業)

 

現在、三河島を出た上り列車は、大きく左にカーブして日暮里駅で東北本線に合流し上野・東京方面へ向かいます。

しかし当時は三河島付近をまっすぐ進み、田端駅で東北本線の下り方面へ合流してました。

これは常磐線の建設目的が元々は常磐炭田から産出する石炭の輸送だったからで、貨物列車は田端から現在の山手線を通って東海道本線へと運ばれていました。

 

当時、上野発着の常磐線旅客列車は、田端でスイッチバックしていたそうです。

しかしこれでは不便なので、明治38年に現在の路線が開通し、同時に三河島駅が開業しました

 

踏切がありました

日暮里方面に向かう本線は高架上を走っており、田端に向かう貨物線が地上の踏切となっています

 

踏切から田端方面を望む

 

現在は貨物列車と回送列車しか走りませんが、明治38年まではこちらが本線であり大勢の旅客を乗せて田端へ向かっていました

 

道灌山通り」を踏切で横切ります

この先、線路は田端方面に伸びてますが
並行する道路は途切れています

 

迂回して、再び貨物線のそばに来ました

 

京成本線や日暮里舎人ライナーの下を貨物線はくぐっていきます

 

さらに歩いていくと

 

東北本線(尾久経由線)に突き当たりました

この先も道路は線路に並行していないので迂回します

 

 

しかし、相変わらず異常に暑い・・

今は7月、今年(令和5年)は記録的な猛暑でした

 

道路の横を走るのは東北本線(尾久経由線)

 

そしてこの橋の上から

 

田端へ向かう常磐貨物線の線路が見えました

 

線路が何本も並行していますが、この中のどれかが鉄道唱歌の時代に大和田建樹(鉄道唱歌の作詞者)が蒸気機関車牽引の列車に乗って通った線路なんでしょうね

 

といった感じで、もう貨物線に沿っては歩けないので「田端ふれあい橋」を通って田端駅に向かいます

 

 

そして田端駅まで歩いてきました

 

鐵道唱歌 奥州線-磐城線 六二

 

車輪のめぐり速に

千住大橋右に見て

環の端の限なく

ふたゝびもどる田端駅

 

鉄道唱歌は上野を出発して青森まで行き、仙台まで折り返して常磐線を通って田端まで戻ってきました

 

ここから京浜東北線の電車に乗り、

 

上野駅まで戻ってきました

 

上野駅の中央改札口

 

上野駅

 

鐵道唱歌 奥州線-磐城線 六三 六四

 

むかしは鬼のすみかとて

人のおそれし陸奥

はてまでゆきて時の間に

かへる事こそめでたけれ

 

いはへ人々鐵道

ひらけし時に逢へる身を

上野の山もひゞくまで

鐵道唱歌の聲たてゝ

 

欧米から次々と最先端の技術が入ってくる明治の世に生きた人々の喜びが伝わってきます。

 

さて、上野からは羽田空港まで移動し航空機で福岡まで帰りました

 

飛行機から見えた東京湾アクアブリッジ

といったところで、猛暑の中、陸奥の国を歩き回り、仙台から常磐線を東京から上ってきた旅、ここでお開きにさせていただきます。

最後までお読みいただきありがとうございました

 

 

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