山口線 新山口~益田 令和5年4月

石見国を行く 1 / 青春18令和5年春紀行 4日目

 

令和5年4月初めのある日、今日は夜勤明けです

仕事が終わってから鈍行列車で新山口まで乗り継いできました

ここに来るまで電車の中ではほとんど眠りこけていました

 

 

山口線新山口12時50分発、益田行き鈍行列車

首都圏色の40系気動車3両編成

 

 

 

国鉄セミクロスシートの車内

 

定刻に列車は発車します

 

蒸気機関車時代からの名残である扇形車庫の横を通り抜けています

これだけ40系気動車が並んでいる姿はなかなか壮観

 

40系気動車は昭和52年から国鉄が製造した気動車です。

就役して40年以上たった今もJR九州JR西日本では数多くの車両が活躍しています。

 

 

 

山口着、13時16分

ここで14時8分まで、52分間も停車します

乗客も大半が入れ替わり、実質、山口を境に別の列車といった感じです

 

停車中に1両切り離して2両編成となりました

 

 

駅前に出てみました

 

 

県都の中心駅とは思えない小さな駅舎内部

 

山口県と言えばどうしても山陽本線上の新山口や徳山、下関の方が人流の中心であり、ローカル線の山口駅県都とは言え地味な存在です

 

列車に戻り、定刻14時8分に日本海側の益田に向けて発車します

 

仁保駅

 

駅名標SLやまぐち号の運転に合わせて立てられたものでしょう

 

 

 

列車は中国山地に分け入っていきます

 

篠目駅に着きます

 

奥の給水塔は蒸気機関車時代からそのまま残されているものでしょうね

手前の腕木式信号機はモニュメントとして設置されたものだと思われます

 

 

右から左に書かれた「志乃女」の駅名標

 

レトロ感を醸しだすために変体仮名で書いてあるんだろうが、

しかし蒸気機関車が走っていた時代には、仮名文字は既に現行の字体に統一されていたはずだが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これも変体仮名で「奈べ久良」

 

やまぐち号の機関車C57やD51が現役で走っていた昭和時代は、既に変体仮名は現代と同じく、特殊な用途以外は使われなくなっていたというのに・・・

 

そして島根県に入り、「山陰の小京都」といわれる津和野駅に着きました

 

 

 

 

日原駅

 

かつてはここから岩国まで「岩日線」を建設する計画がありましたが、未成線のまま終わっています

 

 

 

列車は「石見国」を走っていきます

 

 

 

 

 

やがて益田の街並みが見えてきました

 

16時0分に終点、益田着

新山口から3時間10分の道のりでした

 

益田駅

 

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